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【日日是好日】森下典子|茶道を学ぶ意義とは

日日是好日

みなさんは「茶道」というものを体験したことがあるでしょうか。

高校時代,茶道部が使っていた茶室と言われるところに入ったことはありますが,さすがに茶道を体験したことはありませんでした。

茶室もちろん茶道に興味を持ったこともなかったですし,実際にやってみようと思ったこともありませんでした。

本作品は,作者である森下典子先生自身が,実際に茶道を長い期間体験して感じたことがベースとなっています。

日日是好日」は「にちにちこれこうじつ」と読みます。

直訳すれば「毎日は平和な良い日である」ということです。

2018年には映画化されています。出演は黒木華さん,樹木希林さんなどです。

本作品の中心はもちろん茶道です。

主人公が茶道を体験し,十数年間続けてきてようやくたどり着いた境地を描いた作品となっています。

サブタイトルの「お茶が教えてくれた15のしあわせ」がとても気になりますね。

こんな方にオススメ

● 「日日是好日」の本当の意味を知りたい

● 茶道とはどういうものなのかを知りたい

● 「茶道」の存在理由を知りたい

作品概要

お茶を習い始めて二十五年。就職につまずき、いつも不安で自分の居場所を探し続けた日々。失恋、父の死という悲しみのなかで、気がつけば、そばに「お茶」があった。がんじがらめの決まりごとの向こうに、やがて見えてきた自由。「ここにいるだけでよい」という心の安息。雨が匂う、雨の一粒一粒が聴こえる……季節を五感で味わう歓びとともに、「いま、生きている!」その感動を鮮やかに綴る。
-Booksデータベースより-




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主な登場人物

私(作者)・・十数年間,茶道を学ぶ

武田のおばちゃん・・・茶道の先生

ミチコ・・・・作者と茶道を一緒に学ぶ友人

本作品 3つのポイント

1⃣ 茶道をはじめた作者

2⃣ 茶道と季節の関係性

3⃣ 茶道の存在理由

茶道をはじめた作者

作者である「私」(以降『私』と表現)は,母親から

「あの人はただものじゃないわよ」

という言葉を聞きます。

あの人というのは「武田のおばちゃん」と言われているようです。

実はこの武田のおばちゃんが,後に「私」に「お茶」を教える人物,つまり「茶人」です。茶道の先生母親に茶道を勧められる「私」は,ミチコという友人と共に,半信半疑のまま茶道に入り込んでいきます。

ところで「日日是好日」とはどういうことなのでしょうか。

禅語のひとつ。もともとは、唐末の禅僧雲門文偃の言葉とされ,『雲門広録』巻中を出典とするが,一般には『碧巌録』第六則に収められている公案として知られる。 -Wikiより引用-

この言葉が茶道において何を意味するのかが一つのポイントとなります。

まず,武田のおばさん(以降「おばさん」)は,何を教えるということもなく,ただただ作法(点前)をやってみせます。

その通りに真似をし,覚えていく「私」。私習いながら「頭の中で考えない。ただやり続ければいい」ということを言われます。

メモをしようとするもんなら,逆に注意されます。体で覚えろというわけでしょうか。

習うより慣れろ」という言葉がありますよね。あの感覚らしいです。

プログラミングでもそうですが,考えるより,とにかく多くのプログラムを入力すること。

そうすればいつの間にか体が自然と動くようになっていることがあります。

スポーツでも同じだと思いますし,それは茶道も同じようです。習うより慣れよまずは体で覚えつつ,しかも「今に集中する」ということが大切なのだと思いました。

それは「私」がこれまで「夏のお点前」を覚えてきたのに,ある時から「冬のお点前」に切り替わったときからです。

「夏のお点前のことは忘れなさい」

これまで学んできたことから,冬で全く異なる作法に変わる。「私」も混乱しているようでした。

状況が変わったとしても「今に集中すること」そして「気持ちを切り替えること」がポイントなのでしょう。

変化するのは夏,冬だけではないようです。お茶には「濃茶」もあれば「薄茶」もある。そうすると当然お点前も変化する。濃茶と薄茶ん~,茶道って奥が深いというか難しい。。。

「私」はさらに茶道の奥深さを知っていくのです。

茶道と季節の関係性

「お茶」には「和菓子」を嗜む時もあります。その種類はとても豊富。

普段洋菓子しか食べない僕にとっては,この和菓子の豊富さには驚かされます。

例えば「初かつを」という和菓子があるのですが,これは薄い桃色の羊羹です。

「目には青葉,山ほととぎす,初がつお」

聞いたことあるようなないような。。。4月から5月で獲れる初がつお。

まさに初がつおに見立てて作られた和菓子の「初かつを」

3月は「菜の花」,4月は「桜」,5月は「つつじ」,梅雨の時期は「紫陽花」など,茶道の和菓子は,季節を表しているようです。和菓子茶道を続ける「私」は,さらに多くのことを学んでいきます。

お点前の最中には間違えることも当然あります。しかし,間違えてもいいから,ひとつひとつをしっかり「心を入れて」行いなさいと言われます。

目の前のことに集中し,一つ一つのことをしっかり行う。仕事もそうですよね。

失敗することはあるけど,その後が大事だと。

やはり茶道はあらゆる仕事にも通じるところがあるように思います。仕事にも通じることそんな時,友人のミチコが結婚することになります。結婚式に呼ばれた「私」と先生。

取り残された気持ちになる「私」。ひたすら茶道をして,結局仕事に就かなかった「私」。

もちろん本作品を描いているわけですから,森下先生自身は「フリーライター」ではあるわけです。

そんな「私」も出会いがあり,後に結婚することになっていました。

しかし,式の2ヶ月前に破局を迎えてしまいます。

当然ですが「私」だけでなく,作者のご両親の喪失感はすごかったようです。

そんな「私」のために,先生はある言葉が書かれた掛軸を用意していました。

不苦者有知」どういう意味なのか。不苦者有知苦と思わざるものは知あり」という意味ですが,先生は何を言わんとしているのでしょうか。

例えば「立春」という言葉があります。でも立春って,2月4日のことなんですよね。

春まではまだまだなのに,なぜ「春」という言葉が入っているのか。

そもそも日本の暦には「節分」というものがあります。豆まきの話ではなく,一年を24の節に分けられるという意味です。

特にこの立春の前日までが一つの節を分ける日ということで「節分」として特別なイベントがあるということらしいです。なるほど。。。

つまり,立春というのは「春へ向かっての道標」だというのです。

今を一生懸命耐え凌いで新しい季節へ向かって行こうという前向きな言葉なんですね。

それは「大寒」「春分」「夏至」「雨水」だってそうです。

24節おそらく環境的に厳しい中で生活していた人々たちの知恵が,この言葉になって表れているのかなと思いました。昔に比べれば,今は何と恵まれていることか。

自然に身をまかせ,流れに身をまかせ生きていくこと

その大切さを「私」は感じているようでした。

茶道の存在理由

みなさんには,他人と比較して自分自身が落ち込んでしまったという経験はないですか?

今ではありませんが,かつてはありました。特に社会人一年目。同じ部署に配属になった僕自身と年下の同期社員。

僕自身よりも知識や技術があり,仕事もそっちに回っていく「屈辱的な経験」でした。ライバル「私」の茶道にも新人が入ってきました。「ひとみちゃん」という女性です。

彼女は茶道が初めてでありながら,素質があるのか,どんどんお点前を覚えていくのです。

どことなく楽観的な雰囲気の「ひとみちゃん」に対して,真面目な感じの「私」

茶道をやっていてもそういうことを感じるということがあるんですね。

「私」は自信を失っているようでした。そしてどんどん失敗する「私」がそこにはいました。

悩みに悩んだ挙句,「私」は13年間も続けてきた「お茶をやめる」決心をします。

先生にそのことを打ち明けないまま行われたのが「茶事」でした。

「茶会」と「茶事」ってどう違うの?

茶事が行われたのはいつもの茶室ではありませんでした。

ある住宅街の普通の家に通される「私」たちは,その家の茶室に通されます。

茶事そこでは「炭点前」そして人数分の「御膳」が運び込まれてきました。

茶道だから少しの御膳なのか,と思いきや,腹が膨れるほど多くの種類の料理が登場します。

ご飯,白味噌汁,数々のおかず。さらに煮物,焼き魚,酢の物,炊き合わせ,酒の肴なども。

これ,和食のフルコースじゃないの? というくらい登場するのです。

どうやらこれを「懐石」というらしいです。懐石料理という言葉はここから来ていたんですね。懐石料理そしてこれで終わりではありませんでした。この後,庭に出るのです。

ここで行われたことがこれまで学んできた「濃茶のお点前」「薄茶のお点前」だったのです。茶事つまり,懐石料理は助走であって,最後のお茶を飲むことこそがメインイベントだったわけです。

まるで,オーケストラでバイオリン,チェロ,フルート,ホルンなど,さまざまな楽器を演奏するようだと作者は表現しています。

これまではお茶の各パートを練習していたということです。

「一期一会」という言葉が登場します。この言葉は誰もが知っている言葉だと思います。

生涯に一度しかないと考えて,そのことに専念すること

お茶と言えば「千利休」を思い出します。歴史でも習いましたが,あの利休は織田信長や豊臣秀吉とも親しかったんですよね。千利休戦国時代のあの信長や秀吉でさえも,将来のことで不安を抱えていたのではないかと思います。

自分の家来たちが命を落とせば,いつかそれは自分にもやってくると考えていたとしても不思議ではないですよね。

そんな彼らも,利休と茶室に入る時は刀などの武器は持たずに入ったと言います。

そこで茶会をしていたとしても,明日できるかはわからない。

そんな覚悟を持って生きてきたのかもしれません。

一期一会

今の自分たちもそうだと思います。将来のことを不安に思って,体を悪してしまうこともあります。

僕自身もそんな経験がありました。でもそんなことを考えずゆっくりできるときくらいは楽しく生きたいと思います。

いつも思うのは,交通事故や災害などで亡くなってしまう人がいるということ。

明日自分が亡くなるなんて思ってもいなかったはずです。

明日は何が起こるかわからない。だからこそ今を一生懸命生きるべきではないか

一期一会」という言葉は,そんなことを言っているような気がします。

茶道というものを通して,「私」は人生そのものを学んでいたのではないだろうか。

季節が流れていく中で,いろいろな変化があろうとも「目の前のことに徹する」ことの大切さを感じていたのではないのか。目の前のことに集中それが「日日是好日」の表すものであると。

茶道は「人生そのもの」なのだと思いました。

この作品で考えさせられたこと

● 茶道というものが存在する理由を知ることができた

● 今も昔も,人は悩み,不安を抱えていたのではないか

● 「茶道」は「人生を生きる術そのもの」なのではないか

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