アメリカ人作家,ダニエル・キイスの「アルジャーノンに花束を」。
これまで何度か聞いたことがある小説。海外の作品を和訳したということもあり,なかなか読もうと思えないままでした。
これまで読んだ海外の作品って,アガサ・クリスティーの描いた作品やパウロ・コエーリョの「アルケミスト」という作品など、どうしても有名な作品になってしまいます。
ただ,翻訳した小説って,きっと作者の思い通りになっていない場合もあるだろうし,翻訳された作品自体が読みにくかったりして,なかなか手を伸ばせないことが多かったのです。
本作品の帯に「爆笑問題の太田光さん絶賛!」という文字を見て購入しました。彼が絶賛するのであれば間違いないだろうと。
この作品には本当に考えさせられました。作者はよくこの作品を考えたなと思うのです。
作品自体は主人公である「ゴードン」を中心に描かれていますが,最後の最後に「アルジャーノンに花束を」の意味を知ることになります。
アメリカSFファンタジー作家協会はキイスに名誉作家の名誉を与えたといいます。すごい方です。
いやいや,本当にすごい作品でした。是非,ご一読を!!
目 次
1. こんな方にオススメ
2. 登場人物
3. 本作品 3つのポイント
3.1 アルジャーノンとチャーリー
3.2 知能指数が向上したチャーリー
3.3 人生で大切なものの一つとは
4. この作品で学べたこと
● 「アルジャーノンに花束を」の意味を知りたい
● 高い知能を持った主人公の行く末を知りたい
● 人生で大切なものが何かを知りたい方
32歳になっても幼児なみの知能しかないチャーリイ・ゴードン。そんな彼に夢のような話が舞いこんだ。大学の先生が頭をよくしてくれるというのだ。これにとびついた彼は、白ネズミのアルジャーノンを競争相手に検査を受ける。やがて手術によりチャーリイの知能は向上していく……天才に変貌した青年が愛や憎しみ、喜びや孤独を通して知る人の心の真実とは? 全世界が涙した不朽の名作。著者キイスを追悼した訳者あとがきを付した新版
Booksデータベースより-
1⃣ アルジャーノンとチャーリー
2⃣ 知能指数が向上したチャーリー
3⃣ 人生で大切なものの一つとは
主人公のチャーリー・ゴードンは,あるパン屋で働いている青年です。ただ彼は物覚えが良くないという「知的障碍」を抱えていました。いつか周囲の人と同じような知能を持ちたいと切に願っている様子です。
そんなチャーリーは「経過報告」を書くように言われていました。ほとんどの章はチャーリーの目線であるこの経過報告で描かれています。この言葉を見た瞬間に,なるほど,チャーリーは何かの研究に参加しているのだろうなと想像するわけです。
彼に対する研究にはストラウス博士とニーマー教授がいます。おそらく彼らが研究しているものにチャーリーはある意味「実験台」となっているのでしょう。
本作品の最初の方は,ほとんどひらがなばかりだし,文字も間違っている。作者が苦労してこの文体で描いているのがわかります。そしてその実験が進むに連れて,文章も普通に変化していき,それがチャーリーの進化に繋がっていくのではないか,とも想像するわけです。
彼が実験台になる前に,既に動物実験は行われていました。実験台になっていたのはねずみで,このねずみこそが「アルジャーノン」という名前だったのです。
アルジャーノンは,目の前に造られた迷路をいとも簡単に潜り抜け,出口に辿り着きます。なるほど,アルジャーノンで成功した実験を今度はチャーリーに行おうとするわけです。
チャーリーは脳外科手術を受けます。そして手術は成功します。後はチャーリーがどう進化していくかというところです。
アルジャーノンと同様に,チャーリーにも変化が現れ始めました。チャーリーの知能が徐々に上がって行ったのです。それは,文体が変化していくことで読者は理解します。
実験前はIQ68だったチャーリーは,実験後にはIQ185にまで上昇するのです。
IQの数値について
IQの基準値は100とされており,平均値は90から100程度といわれています。
110から130は優秀と評価される傾向にあり,130を超えると非常に高い知能と判断されるようです。130を超える方のことを「ギフテッド」と呼ぶことがあります。
-ハタラクティブサイトより-
チャーリーは自分自身が変化していくのを感じているようです。チャーリーは知能が上がったことをとても喜び,これで他の人と同じように生活できるし,他人からも認めてもらえると思うようになります。ようやくチャーリーの夢が叶った瞬間でもありました。
ところがチャーリーの思いとは裏腹に,予期しないことが起こってしまうのでした。
チャーリーは自分の知能が上がったことにとても満足していました。僕自身も読みながらそう思いました。きっと周囲の人々も喜んでくれると。
しかし,思いもよらない展開が待っていたのです。
確かに,パン屋で働くチャーリーは仕事ができるようになりました。ただ,同時に理解し始めたこともありました。それは,それまで周囲の人間が仲良くしてくれていたと思い込んでいたチャーリーは,実は自分がイジメにあっていたことを理解していくのです。
同じパン屋で働いていた仲間がチャーリーに話しかけていたのは,実はチャーリーをバカにしていた言葉だったのだと知ってしまうのです。
周りの友達は,本当の友達ではなかったのです。その友達だと思っていた人々は,チャーリーが高い知能を持ったことによって,気持ち悪いというような目でチャーリーを見るようになるのです。腫れ物に触るように避けられるチャーリー。
そしてさらに過去のことも思い出すのです。チャーリーの両親は離婚してしまってました。その原因はチャーリーにありました。
チャーリーが産まれた頃の両親,特に母親であるローズは,例えチャーリーが障害を抱えていたとしても,いつか良くなっていくと信じてチャーリーを可愛がりました。
ところがチャーリーに妹ができた頃に,急に母親の態度が変わります。妹のノーマには健常者だったため,母親はチャーリーよりノーマに溺愛します。それを父親のマットは咎めます。どちらかというとチャーリーの理解者であり,チャーリーとノーマという二人の子供と平等に接するマットは,ローズの行動が許せないのでしょう。
そしてとうとう両親は別れる決断をするのです。
つまり,チャーリーは知能が上昇するにつれ,自分の両親がどのように自分を見ていたかをようやく理解することになったわけです。
チャーリーのことを理解しているのはニーマー教授とストラウス博士だけ。ただここにも違和感があります。彼らはチャーリーを実験台,あるいは被験者くらいにしか考えていないように思います。それをチャーリーは敏感に感じるようになるのです。
大学の教授というのは,学会で自分の実績を披露し,世界中で認められたいというのが一番なのかなと思います。名声を上げたいという「私利私欲」のためにチャーリーは利用されているように思えてなりません。
チャーリーは徐々に周囲に対して不信感を持つようになります。さらには自分自身の方が知能が上であると,それは普通の人だけではなく,教授や博士も自分の能力にはかなわないのだと理解してしまいます。
チャーリーはある意味,思い上がっているように映ります。多くの人々を見下すようになるのです。
周りの人々は,急に変化したチャーリーに寄り付かなくなってしまいます。しかしチャーリーにはそれが理解できない。自分の行動で他人がどう考えるかまで理解できないんですね。自分の思うがままに振舞ってしまう。まるで,人間味のないロボットであるかのように。
果たして,チャーリーはこの後どうなってしまうのか。
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ニーマー教授やストラウス博士の研究対象に利用されていると考えたチャーリーは、アルジャーノンを連れて逃げ出しました。このままでは彼らの名声を高めるということを手助けするに他ならないと考えるわけです。
彼らの監視下から解放されたチャーリーは、自分の思うがままに生きようとします。恋愛もしたし、女性と一緒に寝たり、これまでチャーリーが経験したことのないものに興味を持ち始めるのです。
ところがここでアルジャーノンに異変が現れます。ちょっと前まで迷路からすぐに出られたはずのアルジャーノン、なかなか迷路から出られなくなるのです。
その様子を見ながらチャーリーは高い知能で考えるのです。アルジャーノンの知能が弱体化しているのではないかと。つまり、それはいつかチャーリー自身にも現れる症状だと考えるのです。
手術をし、高い知能を手に入れたチャーリーにも、とうとう少しずつ異変が現れてきました。あれだけどんどん記憶できたことが、時間が経つと忘れてしまうようになってしまいます。このままではチャーリーは、かつてのチャーリーに戻ってしまいます。
そして、悲しい出来事がチャーリーを襲います。アルジャーノンが死んでしまったのです。誰も自分のことを理解してくれない中、アルジャーノンだけが彼にとっての大切な友達だったアルジャーノンを喪ってしまいます。
そしてさらにチャーリーは退化してしまうのです。それは本作品の文体にも表れます。徐々に漢字が使われなくなり、冒頭の経過報告のような、ひらがなばかりで、誤字を目立たせることで、チャーリーの状況を表しているのです。
読者からすると、これは目に見えてショックです。一体、チャーリーはどうなってしまうのか。
そして、とうとうチャーリーにも最期が近づいてきたようです。薄れゆく意識の中、チャーリーは最後の経過報告を書き記すのです。
「もし、アルジャーノンの墓に来ることがあれば、花束をそえてください」と。
本作品を読了して、最後は何とも言えない悲しさに襲われました。
知的障碍者の主人公のチャーリーは、一度は高い知能を手に入れ、満足した生活を送りながらも、最後は元の知能に戻っていく。
その時のチャーリーの行動は周囲の目から見ても恐ろしく映ってしまったのでしょうか。
確かに人間って、自分が努力をして高い能力を発揮できたとき、うぬぼれてしまうというか、周囲を見下してしまう人もいるかと思います。自分にできることを他人ができないときには、それを非難してしまう。
組織の中でもそれで人間関係を崩してしまうことがよくあるのではないかと思います。それは今も昔も変わらないのかなって思います。
自分に能力があると認めつつも、他人に対しても謙虚に振る舞うことができる人ってなかなかいないと思います。自分もかつてはそういうときもあったなぁ、と他人を思いやる心を持っていれば、チャーリーはもっと良い人生を送ることができたのではないかと思います。
と言っても、他人の気持ちなんかわからないし、それって人によって価値観違うし、これまでの人生経験でも大きく左右されるものだと思うし、誰にでも必要なことであるかどうかはわからないです。
ただ、あとがきには「人を思いやる気持ちの大切さ」を作者は伝えたかったようなので、人生経験の一つの事例のような形で本作品を読むのもいいのかもしれません。それが生きる上でのバイブルのようなものになるかもしれません。
ところで、IQが高ければ良いというわけではないと思います。ただ、自分がどのくらいかというのは興味あって、こんなサイトを見つけました。自分のIQがどのくらいなのかに興味がある方はやってみてもいいかもしれません
World Wide IQテスト
それに最近,物忘れも時々あるので,あまり信じてはいないんですけど,一応目安にはなるかもしれませんね。
繰り返しますが、さすが世界で知られている名作だなと思いました。生きている上で大切なものの一つをテーマにした本作品を是非、読んでみてください!!
● 最後の最後にタイトルの意味を知ったときの悲しさ
● 人の気持ちになって考えることの難しさ
● 人生において、知能が高ければよいというわけではないということ