「雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雨ニモ夏ノ暑サニモマケズ」
本作品の表紙にも描かれている一節の詩。賢治がかつて描いた童話「雨ニモマケズ」の一節で有名ですよね。
この言葉を宮沢賢治は,いつ,何を思って書いたのでしょうか。
かつて「銀河鉄道の夜」という作品を読んだことを思い出しました。少年ジオバンニの元にカンパネルラという友人が現れ,2人で銀河鉄道の旅をする話。懐かしいです。
宮沢賢治って「童話」を描いている方だったんですね。小説作家かと思ってました。
ただ今回の話の主人公は「銀河鉄道の父」でもわかるように,賢治の父親である宮沢政次郎です。
厳しい父親の元で育った宮沢賢治。
父親の視点で見た宮沢賢治をはじめとした家族たちの人生,賢治が文学を志すまでの過程がわかる,とても面白い視点の作品になっています。
読めばわかりますが,多くの経験をし,苦悩しながら賢治は文学を志しています。
2023年5月,本作品は映画化され,このブログをアップした時には上映期間中でした。
実は映画化されると聞いて,同年の3月には読了していました。
政次郎役を役所広司さん,賢治役を菅田将暉さんが演じています。
文庫本として出版されたと聞いて,どうしても読みたかった作品です。
目 次
1. こんな方にオススメ
2. 登場人物
3. 本作品 3つのポイント
3.1 宮沢家を支える政次郎
3.2 賢治が目指した意外なもの
3.3 作家宮沢賢治の誕生
4. この作品で学べたこと
● 宮沢賢治の生い立ちを知りたい
● 宮沢賢治の父の視点で描かれた作品を読んでみたい
第158回直木賞受賞作、待望の文庫化!
『銀河鉄道の夜』『注文の多い料理店』など数多くの傑作を残してきた宮沢賢治。清貧なイメージで知られる彼だが、その父・政次郎の目を通して語られる彼はひと味違う。家業の質屋は継ぎたがらず、「本を買いたい」「製飴工場をつくってみたい」など理由をつけては、政次郎に金を無心する始末。普通の父親なら、愛想を尽かしてしまうところ。しかし、そんなドラ息子の賢治でも、政次郎は愛想を尽かさずに、ただ見守り続ける。その裏には、厳しくも優しい“父の愛”があった。やがて、賢治は作家としての活動を始めていくことになるが――。
天才・宮沢賢治を、父の目線から描いた究極の一冊
-Booksデータベースより-
1⃣ 宮沢家を支える政次郎
2⃣ 賢治が目指したもの
3⃣ 作家宮沢賢治の誕生
宮沢政次郎は質屋を営んでいました。そんな政次郎に子供ができます。それがあの宮沢賢治です。
「男生まれた,玉のごとし」政次郎は長男賢治をこう表現してます。
この頃は天災も多かったようです。彼らが住んでいたのは岩手県花巻市。
賢治が生まれる3ヶ月前には,三陸沖でマグニチュード8.2の大地震も起こっています。
1896年のことです。南海トラフなど,日本近海では多くの地震が起こっていたんですね。
その間で生まれた賢治は幸運だったというべきでしょうか。
自分の家を継いでほしいと願う政次郎は,賢治を厳しく育てます。しかし,順調に育っていた賢治も6歳になった頃に「赤痢」に罹ります。
医療もそこまで発達していない時代,父親の政次郎は賢治に徹夜で寄り添うように看病します。
自分の子供に対する思い,執着心。異常なようにも思えますが,何かしら愛情も感じます。
父親の献身的な看護のおかげか,賢治は回復していきます。
小学生になった賢治。彼は成績優秀でした。成績は「甲・乙・丙」と付けられ,賢治は全ての科目で「甲」を取っていました。小学校では悪友と付き合い始め,いろいろな悪さをしてました。
近所の家に火を点け,全焼させるということもあったようです。
そんな賢治に質屋の跡を継がせようと考えている様子の政次郎でしたが,賢治は意外な物に興味を持ちます。
それが何と「鉱物」でした。あれ? 「文学」ではなかったんですね。
「石っこ賢さん」と呼ばれるくらいに鉱物に夢中になって,鉱物の標本まで作ってました。賢治も小学校を卒業し,跡を継がせることを考えた政次郎でしたが,賢治は中学進学を選択します。どうしても鉱物について学んでいきたいと考えているようです。
賢治には妹ができました。トシです。賢治はトシのことをとてもかわいがり,寝る時には童話を聞かせてあげたりしていました。
どうやらその童話,賢治が作ったものらしいのです。後になってからわかるんですけど,これが宮沢賢治の片鱗だったのかもしれません。
しかしこの段階では作家を目指したわけではなかったんです。
時代は日露戦争,世界最強のバルチック艦隊を打ち破った頃でした。
賢治はそれにも触発されたのか,科学を知り,産業を知り,政治を知り,世界を知りたいと考えていました。
政次郎は質屋を継いでほしいという本音があり大反対しつつも,賢治のために学費を払うことにするのです。そして賢治は鉱物の道へ進むため,盛岡高等農林学校へ進学します。
中学では周囲の生徒の能力の高さに圧倒された賢治でしたが,盛岡高等農林学校へは主席で入学します。
そこで関教授とともに行動するようになります。賢治が教授と行っていたのは土性調査です。つまり地質調査。山に行ったり,谷に下ったり,関教授は賢治を実験指導補助として連れまわすのです。もちろん賢治は給料をもらいながらです。
しかし,政次郎は不安を抱えているようです。賢治はもともとそんなに体が強い方ではないし,過去にも生死をさまよう病気に罹ったこともあったからです。
いろいろなところへ行くたびに金をせびる賢治に対して,何かしらの不信感を感じているようです。
そんな頃,予想もしなかったことが宮沢一家を襲います。
賢治の妹トシが病院に入院したというのです。その病気が「結核」でした。かつては重病であり,早晩必ず亡くなると言われていた結核。
確かに現在でも結核病棟というものがあるくらいですから,当時は相当なショックだったと思います。
政次郎もうろたえますが,それ以上に落ち着かなかったのが賢治でした。
「トシはおらが面倒を看る!」
賢治にとって大好きなかわいい妹。賢治の看護の甲斐もあってか,トシは少しずつ回復していきました。
賢治はトシと将来のことを語ります。賢治はどうやら「人造宝石」を売ろうと考えていたのです。
自分の興味のある鉱物資源,特別な加工をし天然宝石と変わらない質の宝石をつくることを語りだしました。
さらにはそれらの宝石を使った宝飾品,ネクタイピンやボタン,指輪などを作ると言い出すのです。ところがそれを聞いたトシは意外なことを言い始めます。
「お兄ちゃん,作家になったら?」
そんな鉱物の仕事ではなく,文章を書く仕事をすればよいと。
確かにトシは賢治の自作の童話を読み聞かせてもらったり,賢治の文学としての才能を認めていたのでしょう。
ある日,賢治はどっさりと書物をトシの元へ持ってきます。
それは童話でした。賢治が書いたものです。その量に驚く政次郎。
「読んで,読んで」とせがむトシ。トシのためなのか,それともトシに言われてその気になったのか。
それはあの「風の又三郎」でした。
「どっどどどどどうど,どどうど,どどう。ああまいざくろも吹き飛ばせ・・・」
かの有名の作品も,作家として活動しようと思ったのではなく,妹のために書いたものだったんですね。賢治が衝撃を受けた作家がいました。石川啄木です。
かの「一握の砂」を読んで賢治は自分も詩を書きたいと思ったようです。
ここからです,賢治が作家活動のようなものに足を踏み入れたのは。
一つのきっかけを掴もうと,賢治は出版社に入社するのです。
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「おらは,お父さんになりたかったのです」
賢治にとっては父親政次郎は絶対者でした。
教師であり,金主であり,上司であり,抑圧者であり,好敵手であり続ける父。政次郎は賢治に対して一切,手を抜くことをしなかったのです。
それでいて息子たちに思いやりを持って接する政次郎。
ここに「本当の父親」の存在の大きさを考えさせられます。
賢治は26歳になっていました。賢治が生まれたのが政次郎が同じ26歳の時。
賢治自身もかつての父親と現在の自分を比較して,改めて父親の偉大さを感じているようです。
だからこそ,賢治は金をせびらない自立した人間,作家という職を手に入れようとしていたのかもしれないですね。
賢治は質屋になることをせず,それを弟の清六へ譲ろうとします。当初,政次郎は,清六にそんな器はないと思ってました。
しかし政次郎はとうとう清六に跡を継がせようとします。
清六自身は最初は拒否しています。
その頃,トシの容体がまた悪くなりました。賢治は自分の作った童話を読み聞かせます。
生きてほしい。そんな気持ちが賢治の創作意欲をかきたてるものだったのではないかと思います。しかし,その気持ちとは裏腹に,トシはどんどん衰弱していくのです。
トシの最期だと悟った政次郎は,
「これからお前の遺言を書きとる。言いたいことがあるなら言いなさい」
この言葉に激高したのは賢治でした。最愛の妹,自分に作家の道を勧めてくれた妹に対してそれはないだろうと。
身体は滅びても,言葉は滅びない。そんなことを政次郎は考えながらトシの最期を迎えようとするのです。
トシはとうとう亡くなってしまうのでした。
そしてトシの通夜。賢治はその場にいませんでした。どこへ行ったのか。しばらくすると戻ってきます。この間の空白の時間の意味は後でわかります。
教師の仕事をしながら創作活動もしていた賢治。
ある日「岩手毎日新聞」に賢治の書いた童話が掲載されます。
もちろん政次郎は驚きます。さらに宮沢家の周辺の知り合いからも声をかけられます。
「載っていましたね」と。
その掲載は一度ではありませんでした。何度も何度も賢治の作品が掲載されるのです。
賢治の教え子たちもその作品の掲載された新聞を読みたいと,子供たちにとっても良い影響を与えているようです。ここにきてようやく賢治の生きるべき道を見た感覚の政次郎。
賢治にとっても本当の意味での自立だったのではないでしょうか。
しかし,賢治は教師を辞めます。とうとう作家活動に集中したいと考えているようです。
ここで「春と修羅」という作品のことが描かれています。
政次郎はこれが「トシを看取っていた時に,賢治自身が考えていたこと」を描いたものでした。
遺言を書き上げた父に隠れ,賢治は密かにしたためていたのでした。
政次郎はそのことを黙っていた賢治に対し一瞬憤りを感じ,賢治に詰め寄ろうとします。しかし,じっと耐えたのです。
そしてとうとう賢治にも病魔が襲います。
創作活動を精力的に行っていた賢治でしたが,病気に罹ってしまいました。どんどん衰弱していく賢治。トシの最期を思い出します。
父親の政次郎は賢治が六歳の頃に看病したように,今回も賢治を心配します。
「たかが二冊出しただけで才能があると思い込んで教師を辞め,お父さんには迷惑をかけてしまいました」
そんなことを政次郎に言う賢治。容体がますます悪くなる姿は,まるでトシの跡を追うような形にも思えました。
病床にいる賢治は,弟の清六を呼びます。部屋の片隅にあるトランクを見ながら,
「お前にやる。どんな小さい出版社でも,出したいところがあったら出してほしい」と。とうとう賢治の最期がやってきたようです。政次郎はトシの時と同様,遺言をしたためます。
父親よりも早く逝ってしまった息子賢治とその妹トシ。
政次郎はどんな思いだったのでしょうか。
ある日,政次郎は賢治が創作した作品に目を通します。
「カンパネルラが手をあげました。それから四五人手を上げました」
僕自身にとっても懐かしい一節です。「銀河鉄道の夜」を読んだときのことを思い出しました。
政次郎は自分の息子が書いた童話が
「ひょっとしたら,日本中へ広まっていくのではないか」
自分の考えを否定しながらも,そうなってほしいという期待も持っていたように思います。
「銀河鉄道の夜」だけでなく「注文の多い料理店」など,日本史に名を残した宮沢賢治。
生きている間は父親自身も,賢治が作った作品が多くの人々に読まれるとは思っていなかったのではないでしょうか。
しかしそれを広めたのは賢治の弟である清六だったということなんですね。
銀河鉄道で思い出すのが,松本零士作品である「銀河鉄道999」です。
この「銀河鉄道」という言葉を使用する際,松本さんは実際に宮沢清六さんに使用許可をもらっているのです。
2023年2月13日。松本零士さんはお亡くなりになりました。これは何かの縁なのか,とも思ってしまいます。
銀河鉄道の夜と銀河鉄道999には直接関係ありませんが,きっと松本さんも影響を受けた作品だったのではないでしょうか。
ジョバンニとカンパネルラが旅をした銀河。鉄郎・メーテルとリンクしてしまいます。
とにかく,宮沢賢治の人生を,賢治の父親政次郎の視点で見ることができた本作品の面白さ。
とてもいい作品なので,本作品を是非読んでみてください。
● 宮沢賢治と父親との関係,宮沢家について多くのことを知ることができた
● 宮沢賢治は最初から文学を目指したわけではなかったこと
● 宮沢賢治の作品からは想像できない,賢治の父親の愛を感じた