みなさんは,もし自分の身内や大切な人が何者かに殺害された時,どういう心理になるかを想像したことがありますか?
今,何不自由なく生活していますけど,いつその時が来るのか来ないのかはわかりません。
目次
1. こんな方にオススメ
2. 作者の経歴
3. 登場人物
4. 本作品 3つのポイント
4.1 事件背景と死刑判決
4.2 死刑論者と死刑廃止論者
4.3 死刑制度の必要性について
5. この作品で学べたこと
● 自分の大切な人を亡くした被害者遺族の気持ちを知りたい
● 罪を犯してしまった加害者の親族の気持ちを知りたい
● 死刑存続論者と死刑廃止論者のそれぞれの言い分を知りたい
娘を殺されたら、あなたは犯人に何を望みますか。別れた妻が殺された。もし、あのとき離婚していなければ、私はまた、遺族になるところだった──。東野圭吾にしか書けない圧倒的な密度と、予想もつかない展開。私たちはまた、答えの出ない問いに立ち尽くす。
-Booksデータベースより-
1958年生まれ 大阪府立大学工学部卒業
電気メーカーへ就職後,執筆活動を行う。
これまで出版された作品は100作品ほどあります。
主な受賞歴
江戸川乱歩賞(放課後)・日本推理作家協会賞(秘密,天使の耳)・吉川英治文学賞(祈りの幕が下りる時)・直木三十五賞(容疑者Xの献身)・柴田錬三郎賞(夢幻花)など
殺人事件,交通事故など,毎日何かしらの事件で亡くなっている方がおられます。
本当に残念なことです。
もしそれが自分や自分の身内に降りかかったらどうなるかと思うと,考えただけでも恐ろしくなります。
これまでさまざまな事件で死刑判決が出ています。
1988年の幼女誘拐殺人事件,1995年のオウム真理教による地下鉄サリン事件,2008年の秋葉原通り魔事件などなど,その事件の犯人や首謀者たちが死刑判決を受け,刑を執行されています。
被害者遺族の心中を察します。
決して犯人を許せないし,復讐したくともできないもどかしさなど,一生癒えることのない傷が残ることでしょう。この「虚ろな十字架」は東野圭吾によって描かれた「死刑とは」を考えさせられる,とても重みのある作品ですが,まだ映像化はされていないようです。
中原道正 ・・・葬儀社の社長。自分の娘を殺害される
浜岡小夜子・・・道正の元妻。フリーライター
中原愛美 ・・・道正と小夜子の娘。
仁科史也 ・・・慶明大学医学部附属病院の小児科医
仁科花恵 ・・・史也の妻。町村作造の娘
町村作造 ・・・花江の父親
死刑判決に対しては人によって価値観や考え方が異なるから,映像化するのはとても難しいことなのかもしれません。
しかし,死刑を取り扱った小説は意外と多いのです。
中山七里さんの「死にゆく者の祈り」もその一つですね。
1⃣ 事件背景と死刑判決
2⃣ 死刑論者と死刑廃止論者
3⃣ 死刑制度の必要性について
中原道正と小夜子は娘の愛美とともに幸せに暮らしてしました。
しかしある日,愛美が一人で留守番をしていた時に強盗が押し入り,さらに愛美を殺害してしまいます。
その犯人は蛭川という男で,かつて強盗殺人の前科があり,無期懲役の判決をうけましたが,仮出所中に事件を起こしました。自分の大切な人間を失った二人は当然のように蛭川に対して「死刑」を求めます。
仮出所中の再犯であったこと,強盗殺人という何の罪もない人間を殺害したことで,蛭川には求刑通り「死刑」が下ります。
「どうして娘を一人で留守番させてしまったのだろう」
親の気持ちとしてはまず自分を責めてしまうことでしょう。
金がどうとか,蛭川が死刑になろうがどうだろうが,まずは子供を返してくれと。そして話はさらに悪い方向へいきます。
娘が亡くなったことで関係が悪化していた中原道正と小夜子ですが,今度はその小夜子が町村という男に殺害されてしまうのです。
一体なぜ???
話がどんどんわからない展開になっていくのでかなり混乱しました。
ここで,死刑について考えてみたいと思います。
まずは被害者の視点になって考えてみます。
冒頭で述べたように,大切な人が亡き者にされてしまえば,誰であっても犯人を死刑にしてほしいと願うでしょう。
自分があの時こうしとけばこんなことにならなかったのに,と自分自身を責めることもあるでしょう。
でもそれ以上に犯人を亡き者にしたいと思うのではないかと思います。
だからよく「犯人に復讐する小説」があるわけですよね。
でもそれができないから「それに見合う刑を!」と考えれば「死刑」しかないわけです。
自分の子供が亡くなっているのに,犯人がこの世にまだ存在している。
懲役刑であれば,いつか出所することもあるわけです。
そのこと自体が許せないことだと考えるのだと思います。
では逆に,加害者の視点ではどうでしょうか。
「死」というものを身近に感じられない人は多いと思います。
犯行を認めている人,認めていない人に関わらず,自分の死というのは受け入れられないものなのではないでしょうか。
また,その親族たちも,例えば自分の息子が誰かを殺害した犯人だったとしたら,何とか命だけは助けてやってほしい,と思うかもしれません。
自分が加害者の親だったとしたらそう思うかもしれません。
何とか生かしてほしいと。何か都合がいい気もしますが。。。
いずれにしても,それぞれの視点で意見は真っ二つに分かれるわけです。
だから「法」というものが存在し,それは法廷で出た判決を受け入れるしかないのだと思います。
では判決である極刑が「死刑」であるべきかどうかは本当に難しい。
東野圭吾さんもこの作品のサブタイトルで「死刑は無力である」というものを付けています。
死刑廃止論者の視点で書いていくと,まず死刑廃止は国際的潮流です。
その理由もさまざまですが,例えば「もし冤罪だった場合,死刑になってしまえば取り返しがつかない」という理由です。
また,サブタイトルにあるように死刑に抑止力があるかどうか疑問であるということもあります。
逆に,死刑存続論者の意見はその逆で,極刑こそが抑止力となるという意見です。
もちろん,犯人が更生する可能性もあります。
しかし,日本の犯罪の約6割は再犯であるという統計もあることを考えると,果たして廃止してもいいのだろうかという意見もあると思います。このように死刑廃止論者と死刑論者の意見は真っ向に対立しているわけです。
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小夜子が殺害されたところに話を戻します。
小夜子が殺害されたのには理由がありました。彼女はある少女の相談にのってました。
彼女は中学時代に高校生の青年(仁科)と恋仲になり,子供を身ごもっていたのです。
しかし,子供を産んだとしても生活ができるはずがありません。
彼女たちは産まれたばかりの自分たちの子供を殺害してしまいます。
その罪の意識で沙織は小夜子に相談していたのですが,小夜子が仁科に罪を認めさせようとしていました。
それを聞いた町村は,仁科たちから家賃をもらって生活していたため,これから生活ができなくなってしまいます。
それをさせないために何と娘の小夜子を殺害してしまったのです。
まさに負の連鎖です。
この世に生を受けた人間が何の罪もないのに殺害されてしまうというこの状況。
これは死刑にはならないのでしょうか。
果たして,この結末は道理なのでしょうか。
そもそも死刑制度がある国,いわゆる「死刑制度存置国」は日本以外に,アメリカ,インド,台湾,中東や東南アジアなどの国々である。
逆に「死刑廃止国」は,イギリス,フランス以外にもヨーロッパの国々が多い。事実上廃止しているという国もあり,アフリカの国々はそれにあたる。このように世界中の国を見ても死刑に対する考え方というのは異なるわけです。長年,この日本でも議論されてきたでしょうし,世界でもその制度が完全に二分されています。
それぞれの国で価値観の異なる世界中の人々が同じ潮流に向かっていくとも思えません。
相当な時間がかかるか,また永遠の課題なのかもしれません。
● 世の中には死刑論者と死刑廃止論者の二つに分かれる
● 同じ一つの判決に対して,被害者遺族の視点,加害者親族の視点も二つに分かれる
● 世界を見ても,死刑存続国と死刑廃止国に分かれている。永遠の課題
東野圭吾さんはその議論を読者に投げかけるため,この作品を描いたのでしょうか。
逆に作者自身の中では答えは出ているのでしょうか。
本作品の映像化を望んではいますが,それに関わる人たちはどういうスタンスで作品を作るべきかをよく考えて制作しなければならないので,とても難しいと思います。
やはり日本にとっても永遠の課題なのかなとも思えてきます。