2020年に発生した「コロナウィルス」。あの年から私たちの生活は一変しました。
まず思い出したのは2003年の「SARS」でした。中国の広東省をで発生したと言われるウィルス。日本でも話題に上がりましたが,あの頃は日本にはそこまで影響はなく,危機感を感じながらもそこまで気にしていませんでした。
同じ「コロナウィルス」を期限とした感染情報がどんどん世界に広がり,横浜のクルーズ船の乗客が集団感染したというメディア報道に,ある種の恐ろしさを感じたのを覚えています。
SARSの時と変わらないだろうと思っていた僕自身も,今回の異様なほどの報道に危機感が増幅していきました。ここから数年,生活が一変したのです。
そしてその裏には,特に医療機関の方々はさらなる過酷な日々を送ることになっていたのです。本作品はそれがよくわかる作品でもありました。
自分たちが知らなかった恐ろしい日々を,死と隣り合わせの中,必死で行動した医療機関の方々には頭が下がる思いです。
著者の夏川草介先生も現役の医師としてこの対応に当たられた経験を踏まえ,本作品を描かれているのです。
あの頃,院内では何が起こっていたのか。知りたい方は是非本作品を読んでみてください!
目 次
1. こんな方にオススメ
2. 登場人物
3. 本作品 3つのポイント
3.1 コロナウィルス発生
3.2 敷島,コロナ感染?
3.3 本作品の考察
4. この作品で学べたこと
● コロナウィルスを,医療機関の側面から知りたい方
● 生活が一変した日々を,思い返してみたい方
● 現在の状況がいかに恵まれているかを感じたい方
小さな病院は命がけでコロナに立ち向った。『神様のカルテ』著者、最新作!
感染症指定医療機関でコロナ禍の最前線に立ち続ける
現役医師が自らの経験を克明に綴った記録小説!
-Booksデータベースより-
1⃣ コロナウィルス発生
2⃣ 敷島,コロナ感染?
3⃣ 本作品の考察
主人公は敷島寛治。彼は信濃山病院に勤務する医師です。令和3年の年明け,病院に患者が救急搬送されてくるところから話は始まります。
患者には酸素マスクがつけられていました。新型コロナウィルスに感染していたのです。
新型コロナウイルス感染症とは
いわゆるCOVID-19は、重症急性呼吸器症候群コロナウイルス2(SARS-CoV2)による感染症です。2020年1月30日にWHOにより国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態(PHEIC)が宣言されました。
-厚生労働省検疫所サイトより-
今でも感染者が存在し,誰もが意識しているこのウィルスですが,当時はそこまで危機感を感じていませんでした。酸素飽和度もどんどん下がっていくこの感染症。おそらく肺炎に罹ってしまっているこの患者の症状に,敷島は違和感を感じていました。これまでの肺炎とは何かが異なると。
そしてどんどん患者は増えていくし,病床もどんどん埋まっていく。信濃山病院は感染症指定病院になっており,他の医療機関が受け入れない患者まで受け入れているのです。
そして病床利用率という言葉。これにはある種の違和感を感じました。病床利用率が例えば50%だったとしても,半分の病床が空いているわけではない。それは「感染症専用病床」であって,一般診療のための病床は含まれていない。
つまり,一般病床を感染症病床に割り当て,一般病床も満床状態でありながら,トータルで考えれば分母は(感染症病床数+一般病床数)であり,分子は感染症病床数のみであるというマジックのような数値なのである。
実際,信濃山病院の病床はほぼ満床状態になってしまいました。それは,コロナ以外で入院する患者もいるわけだから,闇雲に病床を増やすわけにはいかないわけです。
医療機関の逼迫の一つはここにあるわけなのか。そして医師だけでなく,看護師やその他関係者の仕事もどんどん増えていくわけなんですね。
この改善の余地もない,終わりの見えない長い長いトンネルのような日々に,医療関係者も疲弊するのはわかります。敷島の悲壮感が伝わってくるようでした。世間では亡くなった患者が100人を超え,この信濃山病院でもいつ死者が出るかわからない状況になっていくのです。
さらにはあの『緊急事態宣言』も出されるわけです。あの言葉は今になってもゾッとする言葉ですよね。マスク着用はもちろんのこと,不要不急の外出はするな,少しでも発熱があれば自宅待機せよ。
コロナワクチンの強制接種も行われました。手際よくどんどんワクチンを打っていく医療従事者の方々の苦労を感じる時でもありました。
そして『濃厚接触者』という言葉。この概念にどれだけ翻弄されたことか。自分自身が初めてコロナに罹った時,これがどれだけ自分の精神状況を追い込んだことか。。。
家族は外出できないから,仕事も学校へ行くこともできない。職場の人々にも負担がかかる。僕自身は教員だったので,自分が担任しているクラスへの連絡など。
親からは「うちの子は濃厚接触者になるのか」という電話。何がなんだかわからない状況の中,自分自身はというとホテルに隔離される。あの日々は本当に辛かったです。
そうこうする中,信濃山病院の敷島にも恐ろしいことが起こるのでした。
敷島は,病院の外の禁煙場所で,山村という知り合いの男性と話をしていました。山村はどうやら介護施設にいた自分の母親が熱を出して,この信濃山病院にやってきていたようです。車内待機で母親を車に乗せている間,敷島と山村は会話をしていたのです。
ところがこの山村の母親が後日,コロナ陽性と診断されたのです。おそらく介護施設で集団感染したのでしょう。コロナの発生源ではないのに,この介護施設はネットでも叩かれるわけです。
ただ,敷島はそれ以上に恐ろしいことを考えていました。敷島は喫煙所で山村と接触しているのです。つまり敷島にも感染している恐れがあると。。。マスクをしていたかどうかはわからないが,少なくとも煙草を吸っているときは外しているはず。敷島の背筋に冷たいものが流れる瞬間でした。
敷島は上司の三笠に報告します。これは医師としてのミスなのか。そのくらい切羽詰まった状況であることは間違いない。
とうとう三笠は敷島に「自宅待機」を命じるわけです。少なくとも山村がコロナ陽性かどうかがわかるまでは。敷島は家に帰りますが,家の中に入ることはできない。もちろん敷島自身が陽性である可能性があり,妻や子供たちにも感染してしまえば大変なことになる。
敷島は寝袋を車の中に積み,そこで過ごすことにするのです。真冬の時期にこれは本当に辛い。医療関係者が神経質になってしまうのもわかる気がします。ウィルスを院内に持ち込んでしまえば,医療関係者の集団感染にもなってしまいますから。いろいろなことが頭をよぎる敷島。この不安をどう乗り切ればよいのか,想像がつきません。
しばらく経ち,敷島に朗報が舞い込みます。山村は「陰性」となったのです。三笠の指示で,敷島は半信半疑ながらも現場復帰することができました。
『この感染症との戦いに正解はない』という三笠の言葉が沁みます。
しかし世間では「コロナ死者総数5000人を突破」とか「一日の死者数が100人を超える」など,状況はさらに悪化しているようです。信濃山病院でも2人の患者が亡くなっていました。
この状況を敷島をはじめとする信濃川病院はどう乗り切っていくのか。
僕自身は十数年前,肺炎に罹り地元の市立病院に入院したことがあります。最初は「ただの風邪かな?」って思っていたんですけど,徐々に症状が悪化。40度近い熱が続き,咳や痰が止まらない。本当に苦しかったのを覚えています。
当時インフルエンザも流行っていたので,2回病院を変えて診察を受けるも「重い風邪」と言われました。それでも自分の中では「これは肺炎なのではないか」と思い,レントゲン診察を懇願しました。肺には白い影が。。。まさに「肺炎」だったのです。
あの苦しさは忘れることができません。一歩遅れていれば命も危なかったかもしれない。
きっと今回のコロナウィルスも,我慢しすぎて気づいた時には手遅れだった人も多かったのかもしれません。
僕のような症状を持つ患者のために,医療機関の方々は必死で奔走していたのです。コロナウィルスに感染した患者が搬送されてくるし,発熱のある人が駐車場の中で待機し防護服を着てPCR検査を行う。感染が拡大するにつれ,病院は出来る限り病床を増やし,患者に対応する。
そして最も恐ろしいのが「院内感染」。患者だけでなく,もし医療従事者に感染してしまったら,ただでさえ逼迫しているこの状況に対応できる人も少なくなり,さらに病院はパニックになってしまう。
そんな状況と必死に闘っている医療従事者には頭が下がります。僕自身が生きているのも病院関係者のおかげかもしれない。まさに「臨床の砦」だったのでしょう。そんな生と死の境界線の中で行動してくれた医療関係者には感謝の気持ちしかないのです。
第2類から第5類に引き下げられ,少しずつ私たちの生活にも余裕が出てきたような気がします。でもそれは目に見えている部分だけだったのかもしれないです。医療関係者の方々は変わらず必死の思いで仕事に従事されていたのだろうと思います。
本作品を読めば,本当に感謝の気持ちでいっぱいになると思います。
是非,読んでみてください!
● コロナ禍の医療従事者の必死の行動に感服しました
● コロナ陽性,濃厚接触者という言葉の恐ろしさを改めて感じた