「点と線」「ゼロの焦点」に並ぶ,松本清張先生の超大作です。
これまで3,4回ほど映像化されている伝説の作品でもあります。
僕自身が本作品を知ったのはドラマです。2004年に中居正広さんが主人公のドラマを毎週みていたことを思い出します。あの時は夢中になって観ていました。
特に印象深かったのはいくつかあって,まずは倒叙的な手法で描かれているということです。
おそらく犯人は和賀英良(わがえいりょう)で,この人物を今西刑事がどうやっておいつめるかというのが大きなポイントです。
そしてそのヒントになったのが「カメダ」という言葉。この言葉は何を意味するのか。
小説でもそうですが,ドラマでもこの言葉の真意を知った時には僕自身も驚きました。
なぜ和賀は殺人を犯さなければならなかったのか。
必読の一書です。
目 次
1. こんな方にオススメ
2. 登場人物
3. 本作品 3つのポイント
3.1 『カメダ』の意味とは
3.2 今西刑事の執念の捜査
3.3 真犯人の過去
4. この作品で学べたこと
● これまで何度も映像化されてきた作品の原作を読んでみたい
● 真犯人を追い詰める一人の刑事の執念を見てみたい
● 「砂の器」という言葉の意味を考えてみたい
東京・蒲田駅の操車場で男の扼殺死体が発見された。被害者の東北訛りと“カメダ”という言葉を唯一つの手がかりとした必死の捜査も空しく捜査本部は解散するが、老練刑事の今西は他の事件の合間をぬって執拗に事件を追う。今西の寝食を忘れた捜査によって断片的だが貴重な事実が判明し始める。だが彼の努力を嘲笑するかのように第二、第三の殺人事件が発生する…。 映画でもドラマでも大ヒットした社会派ミステリー。
-Booksデータベースより-
1⃣ 『カメダ』の意味とは
2⃣ 今西刑事の執念の捜査
3⃣ 真犯人の過去
蒲田駅の近くで殺人事件が発生するところから始まります。
電車の操車場である男性が殺害されます。被害者はウィスキーの中に仕込んだ睡眠薬で眠らせられ,大きめの石で顔面を潰されていました。
手足の皮が剥がしされていることから,犯人は身元がバレないように仕組んでいたようです。
犯人と被害者がバーで一緒に飲んでいたところが目撃されています。
被害者は一緒に来店した若い男性からの「カメダは今も相変わらずでしょうね?」と話していたようです。
被害者はどこかの地方のなまりの口調で,何となく2人は知り合いで久しぶりに再会して飲んでいたみたいです。
後で大きなポイントとなるのがこの『カメダ』という言葉。
蒲田? 亀田? 人名なのか地名なのかよくわかりません。
若者らしき人間は常に隠れるように俯いていて,素性がバレるのを恐れていたようなんですね。
この若者が犯人なのでしょうか。。。
ここで,今西刑事が登場します。今回の事件を最後まで追う刑事です。『カメダ』という言葉と『東北訛り』の人物が捜査のポイントとなりそうです。
しかし,捜査しても東北地方の亀田という姓の人物には心当たりがないようでした。
さらに今西刑事は地図を広げ,秋田県に「羽後亀田(うごかめだ)」という地名を発見します。そして現地へ行きますが,重要な手掛かりは見つからず。
警察の捜査というのは本当に大変だなと思い知らされます。何か手詰まり感いっぱいです。
結局,捜査は打ち切られます。しかし諦めきれない今西刑事は独自に捜査を続けようとするのでした。
捜査本部は解散されましたが,その一ヶ月後に被害者が判明します。
被害者は三木憲一でした。被害届を出したのは憲一の息子です。息子によると三木憲一は今から三ヶ月前に京都旅行へ行くと出かけ,そのまま失踪してしまったというのです。
しかし,なぜ全く関係ない蒲田で殺害されたのかが疑問ですよね。
息子に聞いても,東北に住んでいたこともないようで,今西刑事が推理した『カメダ』はここで完全に打ち消されてしまいます。
今西刑事は何か東北という先入観にとらわれているようです。しかし諦めきれない今西刑事はいろいろ捜査を行います。
ある日,今西は日本中の方言を研究している「国立国語研究所」を訪問します。
実はここで今西は大きな手掛かりを手に入れます。
岡山県の隣の出雲では『ズーズー弁』を使用しているということがわかります。つまり東北の訛りにとても近いというのです。そしてこの出雲を中心とした地域に「東北訛り」がある地域はないかを調査します。
すると出雲の奥地に何と『亀嵩(かめだけ)』という地名を発見するのです。
しかも三木憲一は出雲の駐在所の巡査をしていた経験があったようなんです。
蒲田の事件の『カメダ』は『亀嵩』のことだったんですね。これでようやく今西は大きな一歩を踏み出したことになりました。
ということは,一緒にいた若者もそこの出身である可能性が強い。そして,今西刑事は亀嵩へ行くことになるのでした。
三木謙一には子供がいませんでした。みんなに慕われる駐在員ではありましたが,子供には恵まれなかったようです。
しかし三木に転機が訪れます。ハンセン病の貧しい男が子供連れて近くにやってきたのです。三木謙一はこの男を隔離して子供を寺の託児所に預けました。
一体,この男は誰で,一緒にいた子供は誰なのか。
事件が大きく動き出しそうな予感のまま,今西は東京へ戻ります。
ここである女性の存在を知ります。『紙吹雪の女』です。
これは今西刑事が週刊誌の連載『紙吹雪の女』のことです。週刊誌を発刊している新聞社の社員が3ヶ月間かけて書いた実体験でした。
信州からの帰りの電車で、ある女性が甲府から乗車し、窓際の席に座るって『白い紙吹雪のようなもの』を捨てているというものでした。誰かを弔うための「儀式」のようなものなのか。それとも。。。
この記事に興味を持った今西刑事は、女性が紙吹雪を捨てたであろう区間を歩いて探し回るのです。恐ろしい執念ですよね。
しかしこの執念が身を結ぶのです。紙吹雪は犯人のシャツを切り分けたものだったのです。
犯人の着衣の一部。。。犯人は共犯?
つまり犯人は協力者の女性に、バラバラにしたシャツを電車の窓から捨てさせていたわけです。しかもそのシャツには血痕が付いていました。何と三木のの血液型と一致したのです。
この頃はDNA鑑定が発達していなかったと思われるので,被害者を特定できたわけではないですが,おそらく被害者のものでしょう。
「この紙吹雪の女性を探し出したい!」
そして事件が起こります。あるアパートで劇団の事務員である成瀬リエ子が睡眠薬を大量に飲んで自殺しました。
捜査の結果,成瀬リエ子は『紙吹雪の女』であると判明したのでした。
今西刑事は成瀬リエ子を慕っていた劇団俳優の宮田邦郎から話を聞きます。
「成瀬リエ子の自殺の理由に心当たりがあるが、今は話せない」
今西は宮田と喫茶店で会う約束をしていましたが,現れません。宮田は何と心臓麻痺で亡くなっていたのです。
どうも今西の行動を先回りしている人物がいるような気がします。
今西は推理します。宮田は蒲田事件の真相を知ってしまった。自分が好きだったリエ子の復讐のために真犯人をリークしようとしたのではないか。
ここで作曲家の和賀英良が登場します。アメリカ行きが決まり,世界で活躍する計画を立てていた和賀。
和賀には婚約者がいました。田所佐知子と言って,田所重雄という元大臣を父に持つ女性です。
和賀にとって,愛人だったリエ子が邪魔になったのか?
しかし,なぜ三木が京都へ行っていたはずの三木が蒲田へ行ったのかが疑問ですよね。
今西は,三木が旅先の旅館で,同じ映画館をなぜか2日連続で観た後、予定を急遽変更して東京へ向かっていたようなんです。
この映画に何かヒントがありそうですよね。
一体,三木は何を見つけたのか。なぜ蒲田へ行かなければならなかったのか。
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ここで過去の話へもどります。出雲で駐在所の巡査だった三木がかくまった男の話にもどります。
実はこの男性「ハンセン病」だったようで,名前を「本浦千代吉」という名前でした。
ハンセン病とは
「らい菌」が主に皮膚と神経を犯す慢性の感染症ですが、治療法が確立された現代では完治する病気です。
-日本財団より-
最近でも,この病気の裁判で話題になることがありますよね。
そのため,彼は差別を受け「村八分」に遭ってしまいます。そして千代吉は息子である秀夫を連れて村を出て行きます。そして全国を二人で歩きながら旅をして回るのでした。
今西刑事は『押し売り撃退器』という装置の存在を知ります。
人に不快な周波数を出し,2万Hz以上の高周波数では人間にとっては音としても聞こえない超音波を出すのです。
人間にとって心地よい周波数があるのと同様に,不快な周波数を出し,しかもそれが殺人に使われるということもあるのです。
一方,和賀英良は超音波が強力になるパラポラを購入していました。おそらく殺人の凶器にした可能性があり,その真犯人こそが和賀英良であるのです。
今西刑事は実験をし,和賀の自宅スタジオにある長音波発振器で人を殺害できることを証明しました。
では三木が蒲田へ行った理由は。。。
実は三木が泊まった旅館の近くにあった映画館。オーナーは田所市之助という人物で,田所重善の後援者だったようです。
そこに記念写真を飾っていて、何と田所の娘だけでなく,和賀英良までもが映っていたのでした。
「これは本浦秀夫だ!」
そして三木は和賀,いや秀夫に会うために蒲田へ向かったのでした。
和賀英良にとって三木謙一は会いたくない人物でした。過去の汚点が暴露されてしまうから。
和賀英良の戸籍は大阪浪速区でした。父を亡くした秀夫を引き取ったのが和賀夫妻でした。
しかし戦争で被災。秀夫だけが生き残るのです。
戦争で混乱して戸籍の管理が行き届かないことを利用して,秀夫は「和賀英良」として戸籍を作ったのでした。
そして,和賀がアメリカへ行こうとしていた時。
とうとう今西刑事は和賀を殺人容疑で逮捕したのです。
2004年のドラマとはかなり違っている部分がありました。
2004年のドラマでは、犯人である和賀の戸籍は、長崎で起きた集中豪雨で、本浦秀夫が和賀英良になりかわりました。
しかし原作では和賀自身が自分の本籍をうやむやにしています。自分の両親の死は昭和20年の空襲にあり,自分自身もどこが本籍かわからないから、自己申告するという手段で。
1960年代の作品であるから、それから40年後の話として映像を作り上げようとした時に、どうしても表現できないところがあったのは否めないと思います。
でも重要な核になる部分はしっかりと残されています。
それが時代を経て,何度も映像化されても変わることなく夢中になって観てしまう所以ではないでしょうか。
自分の過去を知られたくないこと。
ここまで苦労して手に入れた成功を、自分の過去が暴かれてしまうことで失いたくないという私利私欲。
しかし宿命というものはあるのですね。これまで守ってきたものも,ちょっとした出来事でもろくも崩れ去ってしまう「砂の器」のように。
● 真犯人の知られたくなかった壮絶な過去
● 真犯人を追い詰める刑事の執念に感服した
● 「砂の器」のようにもろくも崩れ去るもの