米澤穂信先生の「ベルーフシリーズ」の一作品です。本作品を読む前に『王とサーカス』という長編モノを読みましたが,今回は短編集です。
そもそも『ベルーフ』というのは,「天から授かった職」という意味があるそうです。つまり天職でしょうか。
確かに本作品だけでなく,このシリーズに登場する太刀洗万智という記者は,まさに天職のような気がします。ただ記者として強引に取材をするのではなく,何か物事を客観的に,冷静に分析して行動する。
そして,取材するからにはその責任と覚悟を負う辺りも太刀洗万智のいいところだと思います。僕自身は『王とサーカス』の後に読みましたが,どちらから読んでもいいかなとは思います。
太刀洗万智というジャーナリストのすごさがわかる作品なので,是非読んでみてください!
目 次
1. こんな方にオススメ
2. 登場人物
3. 本作品 3つのポイント
3.1 6つの短編の概要
3.2 各短編の真相とは
3.3 太刀洗万智のすごさ
4. この作品で学べたこと
● 太刀洗万智という女性記者のすごさを知りたい
● 記者という仕事の深い部分を知りたい
太刀洗万智・・主人公。東洋新聞に勤務する記者
藤沢良成・・・第一話の登場人物。記者
都留正毅・・・第三話の登場人物。記者
檜原京介・・・第四話の登場人物。ある事件の第一発見者
ヨヴァノビッチ・・第五話の登場人物。万智の知り合い?
大庭・・第六話の登場人物。消防団員
1⃣ 6つの短編の概要
2⃣ 各短編の真相とは
3⃣ 太刀洗万智のすごさ
高校生の心中事件。二人が死んだ場所の名をとって、それは恋累心中と呼ばれた。週刊深層編集部の都留は、フリージャーナリストの太刀洗と合流して取材を開始するが、徐々に事件の有り様に違和感を覚え始める。太刀洗はなにを考えているのか? 滑稽な悲劇、あるいはグロテスクな妄執――己の身に痛みを引き受けながら、それらを直視するジャーナリスト、太刀洗万智の活動記録。日本推理作家協会賞受賞後第一作「名を刻む死」、土砂崩れの現場から救出された老夫婦との会話を通して太刀洗のジャーナリストとしての姿勢を描く「綱渡りの成功例」など粒揃いの6編。第155回直木賞候補作。
-Booksデータベースより-
真実の一〇メートル手前
主人公の大刀洗万智が東洋新聞の記者だった頃の話です。
フューチャーステアというベンチャー企業が経営破綻してしまい,その社長の早坂一太とその妹の早坂真理が失踪してしまったのです。
万智は真理の行方を追います。平塚ではなく,山梨にいるはずと判断した万智。
万智は後輩である藤沢を連れて山梨に出張します。
本当に真理は山梨にいるのか。そして無事なのか。
正義漢
吉祥寺駅で事件が起こります。ホームに人が飛び降り,やってきた電車に轢かれるという事件が発生しました。駅構内は騒然とし,ラッシュ時の客たちもパニックになっていました。
ある男性の視点でこの事件の状況が語られるのですが,その視点はある女性の姿をとらえていました。
その女性は口元に笑みを浮かべ,メモを取っています。そして停車した電車の下にあるであろう死体を撮影しようと携帯電話を構えているのです。
記者? ということはこの女性の正体とは。。。
恋累心中
桑岡高伸と上條茉莉という高校生が遺書を遺して自殺してしまいます。
この世がこれほどひどい場所だとは思わなかった。
僕と茉莉は死ぬことにした。。。(略)
二人の死は亡くなった地名をとって『恋累(こいがさね)心中』と報道されました。
週刊深層出版社に勤務する都留正毅がこの自殺を担当することになります。
そして取材場所に心強い味方も送り出していました。それが太刀洗万智でした。
実はこの事件,裏がありました。
果たして、万智は事件の真相にたどり着けるのでしょうか。
名を刻む死
いつかこんなことになると思ってました
これは檜原京介という男性の言葉です。田上良造が自宅で亡くなっていたことに対しての言葉です。京介は田上の遺体の第一発見者でした。
田上は何かあれば難癖をつける老人でした。隣人にも難癖をつけ,新聞記事にもアンケートで難癖をつける人物だったようです。
田上は日記を付けていました。そこにはには『名を刻む死を遂げたい』とありました。
ミステリーではよく警察が「第一発見者が怪しい」ということで捜査することが多いそうです。京介が犯人なのではないか。。。
そしてこの事件に,あの太刀洗万智が取材をすることになりました。
万智はこの事件の真相を暴くことができるのでしょうか。
ナイフを失われた思い出の中に
ヨヴァノヴィチという男性が,イタリアからやってきました。
どうやら『さよなら妖精』という作品に登場するマーヤの兄のようです。彼は,妹から万智のことをよく聞いていたそうです。
ある日,松山花凜という少女が殺害されます。犯人は松山良和という男だと万智は言います。
良和は花凜の母、良子と姉弟であり,花凜を刺殺して逃走した挙句,逮捕されました。
ただこの事件,さまざまな状況から万智は不審に思います。
一体,万智は何を疑問に思っているのか。
綱渡りの成功例
長野県で大規模な豪雨が発生し,それによる水害によって多くの被害が出てしまいました。その被害にあった一組の夫婦である戸波夫妻。彼らは消防隊員たちによって救出されました。
その消防団員の中に,大庭という青年がいました。報道によると,戸波夫婦は三男の平三が置いていったコーンフレークで何とか生き延びることができたようなのです。
実はそのコーンフレークは,大庭の両親の店が配達したものでした。
大庭には大学時代の先輩がいました。それがあの太刀洗万智です。
ただ,万智は調査によって,この戸波夫妻が生き延びた理由を知ります。
それは一体何だったのでしょうか。
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真実の一〇メートル手前
フューチャーステアは詐欺会社であると噂されていましたが,万智は違うと思っていたようです。
それはかつて実際に真理にインタビューしたことがあり,そんな悪い印象を持ってなかったからでした。
真理には妹の弓美がいました。万智はこの弓美に取材をします。
どうやら弓美は真理から連絡を受けていたようです。しかも酔っているのではないかというトーンで話していたようで,万智はその時の音声データを入手します。
実はこの音声データから,平塚ではなく山梨にいると判断していました。
万智は取材をしながら,真理が飲んでいた店を突き止めました。その時に酔った真理を介抱した男性がいました。
フィリピン人のフェルナンドという青年です。フェルナンドはその店の店員でした。フェルナンドは真理のことを庇っているようでした。しかし,万智は真実を聞き出そうとします。
何度も何度も話をし,真理の悩みを解消したいという気持ちがフェルナンドに通じたようです。
フェルナンドが言うには,実は酔った夜,真理は店の裏にある川の近くに車を止めて休んでいたことを知ります。
二人は川へ向かいました。そこには言った通りに車があり、窓ガラスにはスモークフィルムが貼られていました。
車まで一〇メートルという距離まで近づき,写真を撮ろうとする藤沢。
万智は何かの異変に気が付きます。すると、車の窓枠には「目張り」がしてありました。えっ,もしかして。。。
万智は慌てて車に向かいますが,同時に救急車のサイレンが鳴り響きます。
おそらくこの状況に気づいた誰かが救急車を呼んでくれたのでしょう。
そうなんです。早坂真理は亡くなっていました。アルコールと睡眠導入剤を大量に飲み、自分の車に排気ガスを引き込んだのです。
もちろん死因は一酸化炭素中毒でした。真理は相当悩んでいたのでしょうね。悲しい結末でした。
正義漢
そう,その女性の正体はもちろん太刀洗万智です。
男性も現場に近づきます。すると万智は取り出したボイスレコーダーに何やら自分が話す声を吹き込んでいます。
午後六時四十二分,事件発生。被害者は即死。場所は四番ホーム。
警察は到着せず。夕方のラッシュ時だけに影響は甚大。
しかし,万智は突如黙り込みます。異変を感じた男性は近寄ります。そして男性の方へ向き返り,こう言うのです。
どうも。わたし,記者です。ぜひとも感想を聞かせてください。
人を線路に突き落とした感想はいかがですか?
そして,この男性は肩を捕まれるのです。犯人は冒頭の男性だったのです。何と,万智はこれが事故ではなく「事件」だと確信していました。
ではなぜそう判断できたのか。
実は「明大前」から乗ってきたとてもうるさい男性がいました。この男性が突き落とされたのです。傍若無人な,他の人への迷惑も考えない一人の男性。
この男性が吉祥寺で降りた瞬間,例の男性の目の前に立った。拍子で突き落としてしまったのです。
そのまま逃げればよかったのに,この犯人はこの状況を見守っていたのでした。犯人は,現場に戻ってくると言いますが,それに近い気がしますね。
もちろん万智の行動にも気づいていました。逆にその視線に万智も気づいた。
それにしても,万智の洞察力というか,視野の広さには感服します。犯行を目撃せずに,犯人を捕まえたのですから。
恋累心中
万智は昨年から三重県教育委員会や県会議員へ爆弾が送り付けられたことを調査していたようです。その事件に関連するのかどうかわかりませんが、快く調査に協力することになります。
都留は万智と行動することになりました。そこには何か不思議なものを見るような都留の視点があります。
万智は亡くなった高校生二人に関わりのある教師とアポをとっていました。都留は事件現場を見に行き、さらに遺書も見せてもらいます。驚くことに最後の部分に「たすけて」と書かれていました。
冒頭の遺書の一部を読むと、この「たすけて」の意味がわかりませんよね。
そしてアポを取っていた教師と会うことになります。まずは上條の担任をしていた下滝という男です。「たすけて」という言葉から、いじめがあったのか。しかし、上條に関していじめはなかったといいます。
次に二人の部活の顧問である春橋がやってきました。春橋は今年から理科主任を任され、備品管理もしていることがわかりました。
ん~、この二人の教師はどちらも怪しく感じます。
ある日、驚くべきことが判明します。上條は実は妊娠していて、しかも相手が身内であるようなんです。
桑岡は何者かから上條を助けようとしていたのでしょうか。何かにショックを受けた二人が自殺したということなのでしょうか。万智は疑問を持っていました。遺書と現場の違いに。
『手をつないであの世に行ける』と遺書にはありましたが、二人が別々の場所で発見されたことです。
死因は「黄燐(おうりん)」による中毒死だと言うことがわかりました。
黄燐とは
リンの同素体の一つ。淡黄色で半透明の蝋状固体。暗い所で燐光を発する。猛毒。赤リン、リン化合物の製造、発煙剤などに用いる。
-コトバンクより-
黄燐を飲むと,すぐにではなく,時間が経ってからその「毒」の効果が出てくるようです。生きるのに耐えられなかった桑岡が上條を刺殺し,さらに飛び降りたということなのでしょうか。
そもそも、なぜ二人は毒として黄燐を選んだのか? 他にも選択肢はあったと思うんだけど。。。
これまでミステリー小説を結構読みましたけど,黄燐というのは初めて聞いたかもしれないです。
しかし万智は,既に仮説を立てていました。黄燐に関する「ある情報」を二人に教えた人物がいたと推測します。
万智と都留の二人は,中勢高校へ再度行くことにします。ということはあの教師のどちらか?
都留も推理します。盗み出した黄燐の在庫が合わなくなり,辻褄合わせのため,そして責任回避のために二人に黄燐を飲ませたと。
ということは,備品管理をしていた春橋が犯人? と思ったんですけど,真実は違いました。
春橋が犯人だとすると,黄燐の管理が甘かったと責任追及されたはず。ということは。。。
万智は犯人が下滝であることを確信していました。それは冒頭の爆破事件が絡んでいます。警察の捜査では,犯行に使われたのが黄燐であることがわかっています。
爆破事件に黄燐を使用していた下滝は,急いで黄燐を処分する必要があったのです。桑岡と上條の二人をそそのかし,黄燐で自殺することを勧めたわけです。「楽に死ねる方法がある」と。
下滝の自己中心的な行動から,桑岡と上條はすぐに死ねるどころか,最後まで苦しんでいったのです。
「たすけて」にはそんな無念の言葉にも思えました。
名を刻む死
京介は,事件の調査をしている万智と出会います。京介はこの万智とともに行動することになりました。
どうやら亡くなった田上は,父親から続く庭師の会社の専務だったようです。
事件当日,田上の家には息子の宇助がきていました。朝から酒を呑んでいるような人物でした。万智は動じませんが,京介は彼の言動に怯えているようでもあります。
そもそも「名を刻む死」とは何なのか。それは「何らかの肩書きを持ったまま亡くなる」ということでした。
しかし、残されたアンケート用紙には「無職」と書かれていました。新聞のご意見番には「元会社役員」という肩書を書いているにもかかわらずです。
誰か他人がこのアンケートを書いたのではないか。万智は宇助に報酬を渡すという理由で領収書を書かせます。もちろん筆跡鑑定です。
やはり、アンケートを書いたのは宇助で間違いないようです。
宇助が訪れた時点で田上は生きていたのですが,彼は食事を与えずにいたのです。
つまり宇助は自分でアンケートを書き、雑誌の発売まで田上が生きているように偽装していたのでした。
これは罪になるかと言えば殺人ではなく「保護責任遺棄致死罪」となるようです。
実は,田上良造は京介の父親に自分を雇って肩書をくれとお願いしていました。しかし断られていたのです。
ろくな食事も与えられず,その弱っている姿を見ていた京介は責任を感じていたようでした。しかし,万智ははっきり言います。
「田上良造は悪い人だから、ろくな死に方をしなかったのよ」と。
万智は優しい京介に対して,私利私欲の田上の行動がそうさせたと言いたかったのでしょう。
ナイフを失われた思い出の中に
この文章を書いたのは私,松山良和です。私は自分の意思でこれを書きます。
私は完全に正気です。精神鑑定の結果も,私の正気を裏付けてくれるはずです。松山花凛を殺したのは私です。(以下,省略)
万智は,松山良和の手記をじっくり読みます。松山良和は寝ている花凜のパジャマを脱がしました。
それに気づいた花凛が泣き出し,良和は思わず彼女を止めるためにナイフで刺殺したとのこと。
花凜を刺した痕からは衣服の繊維が発見されています。これだとパジャマを脱がせる前に刺したことになります。
万智は歩道橋にそのパジャマが隠されているのを発見します。この筋書きを読む力も万智のすごさですよね。
多くの仮説,現場の状況などを鑑み,万智は推理していました。
良和は良子を庇うために事件を起こしたのではないか。つまり,花凜を殺したのは良和ではなく良子であると。
大刀洗は良和のヒントから、殺害に使用したクッキングナイフを図書館跡地から見つけます。真相は次のとおりだったようです。
現場のカギが閉まっていることからも,良和の犯行だという先入観にとらわれていました。しかし実は良和の持つ合い鍵を複製し、良和が訪れるまえに良子のアパートに訪れた人物がいたのです。
それが良子の父親でした。父親は良子の財布から金を盗もうとし、花凜に騒がれたから殺害したのでした。
それを後から入ってきた良和は姉の良子の犯行だと思い込み,隠蔽工作をし,あの「手記」まで残した。
良子は花凛に一玉のスイカを残し,呑みへ行って酩酊しています。
そして良和が入る三時間の間に,良子と良和の父親で花凛の祖父が侵入し,事件を起こしたのです。
カネ目当ての犯行。一人ぼっちで家に残された花凛の寂しさに同情してしまいます。
綱渡りの成功例
万智は今回の水害について調査していました。戸波夫妻からも話を聞くということで,大庭も同行します。
万智はこの戸波夫妻に質問をします。それはコーンフレークのことです。
コーンフレークって,牛乳を書けるイメージがありますよね。そこを突くのです。
『コーンフレークには、何をかけたのですか?』
僕自身もこれは疑問に思っていました。戸波夫妻が言う「待っているうちに食べやすくなった」というのには無理があるような。。。
そしてとうとう真実が明かされるのです。やはり戸波夫妻は「牛乳」をかけてコーンフレークを食べていました。
ただ,災害当時,電気はこなかったはず。ということは冷蔵庫に牛乳があったとしても腐ってしまう。では,どうやって牛乳を手に入れたのか。
それは,戸波夫妻が隣に住む原口家の冷蔵庫を使用したのでした。
原口家の人を助けに行くというのは建前で、実は大きな石が邪魔をして助けることができなかったのです。つまり、戸波夫妻は原口を見殺しにし、動いていた原口家の冷蔵庫の中の牛乳を盗んだのでした。
戸波夫妻は、万智に事実を話すことで,何か憑き物が取れた様子でした。
万智は今回のことを記事にするようです。それは決して二人を「犯罪者」扱いするためではない。
コーンフレークについて報道されたということは、誰かがこの真実に気が付く可能性があると考えたのです。そこで変な噂が立たないように、自分が情報を提供するのだといいます。
報道することで,彼らがどのようなことを言われるかはわからない。
万智は取材を続けながら「常に危険な綱渡り」をしているのとも思われるのです。
「王とサーカス」でも思ったんですが,この太刀洗万智という記者は本当に「危ない綱渡り」をする女性だなって思います。
他の人間であれば怯むことも,堂々とした正義感と覚悟で乗り切ってしまうんですよね。
今回も,ジャーナリスト太刀洗万智の勇気に感服させられました。
そして警察のような捜査もするし,仮説を立てて追及するという頭の良さも感じます。
先に書いたように,今回の短編は全て「他人が見た太刀洗万智」の視点でした。
太刀洗万智という女性がどんな人物なのかをいろんな視点で表現している作品と言ってもいいと思います。
ジャーナリストとしての使命を背負い,今という時間を後悔なく一生懸命生きようとする姿は,男性の僕であっても尊敬してしまいます。
気になったのは,短編の中に『さよなら妖精』の登場人物と関係のある人もいたようです。僕自身はこの作品を読んでいないのでわかりませんが,どうやら太刀洗万智という人物像をさらに深く知ることができるのかもしれません。
ん~,やっぱりこの作品を読んで,太刀洗万智のことをさらに知りたいなぁ。
次は『さよなら妖精』も読んでみようと思います。
● 改めて太刀洗万智という記者のすごさを味わえた
● 記者という仕事の過酷さを知ることができた