他の作品の感想でも書いているんですが,僕の母親も認知症であると診断されました。
まだそこまで進行していないですが,「まさか」という部分はあります。
ある企業の人事課という,多くの人々と接していた母が,まさかこうなるとは正直思っていなかったのです。
今思えば,定年で退職した後にその反動がきたのかな。
ですから,本作品を読みながらいろいろと思うところはありました。
認知症とはどうやって進んでいくのか。どういう症状なのか。どう接すればよいのか。
人それぞれ,千差万別ではあるとは思いますが,主人公である葛西泉という人物を僕自身とだぶらせ,息子としてどう接していくのか,ということを考えながら読みました。
ストーリーとしても素晴らしい作品ですが,泉と自分がシンクロする部分もあり,そのたびに考えさせられました。
川村元気先生の作品は「億男」以来です。
本作品は2022年9月にすでに映画化されており,主演が菅田将暉さん,母親百合子を原田美枝子さんが演じ,長澤まさみさんも出演しています。
一体「百花」とは何を意味するのか。
目 次
1. こんな方にオススメ
2. 登場人物
3. 本作品 3つのポイント
3.1 認知症の母親に悩む泉
3.2 介護施設への入居
3.3 百花とは
4. この作品で学べたこと
● 認知症の症状と進行について詳しく知りたい
● 主人公の泉と母親の複雑な関係を知りたい
● 「百花」とは何かを知りたい
「あなたは誰?」
徐々に息子の泉を忘れていく母と、母との思い出を蘇らせていく泉。ふたりで生きてきた親子には、忘れることのできない“事件”があった。泉は思い出す。かつて「母を一度、失った」ことを。母の記憶が消えゆく中、泉は封印された過去に手を伸ばす──。
記憶という謎<ミステリー>に挑む新たな傑作の誕生。
-Booksデータベースより-
1⃣ 認知症の母親に悩む泉
2⃣ 介護施設への入居
3⃣ 百花とは
母親と離れて暮らしている主人公の葛西泉。レコード会社に勤務する青年です。
大晦日には母親百合子のいる実家で一緒に過ごすことが恒例になっていました。しかし,彼には心配なことがありました。母親の様子がおかしいのです。
大晦日に実家にいるはずの母親は不在でした。一体どこに行っているのか。。。
泉は公園にいる百合子を見つけます。ブランコでボーッとしている感じの百合子。
買い物に行っていたと言っているが,何かを買った様子もないのです。泉はハヤシライスが大好物でした。それを知っている百合子は泉のために作ります。
一月一日は百合子の誕生日でした。だから泉は大晦日に毎年戻ってきて,次の日の朝に祝っていたんですね。
「明けましておめでとう。そして,お誕生日おめでとう」
泉は同じ職場の女性と結婚していました。香織です。
香織は仕事ができる女性なので,周囲の同僚たちは彼女に辞めてほしくないようでした。
香織は,泉との間にできた子供を身ごもっていました。そのことを周囲も知り,さらに百合子にも伝えます。
「おめでとう!」
百合子は泉を祝い,喜びます。
ところが時間が経つと百合子はそのことすら覚えていないんですね。
それ以外でも何かおかしな言動があったり,おかしな行動をしたり,何か違和感を持つ泉。
ある日,泉は母親を病院へ連れていきます。
「アルツハイマー型認知症」
それが百合子の診断結果でした。ショックだったと思います。読みながら自分の親のこととシンクロするんですよね。「泉は百合子とどう接するのだろうか」
さらに日を追うごとに百合子の行動が悪化していくのがわかるようになります。
こういう時,どう対応すればよいのか。僕自身が泉に同化するのを感じます。
百合子はピアノの講師でした。自宅でピアノのレッスンをしているんです。
ピアノで手を動かしたり,レッスンしたりするから認知症にはならないと思いがちですが,決してそうとは限らないのだなって思います。
時々家からいなくなり,懸命に探す泉。しかし百合子は
「泉,どこ行ってたの? 探したのよ」
と言われる始末。困惑,苦悩する泉。これまでの母親とは変わってしまったことに悩む泉は,ある決断をすることになります。
泉は香織とともに,百合子と一緒に住むことを考え出します。
香織は百合子とは嫁姑の関係ですが,関係は良好です。
だから一緒に住んでも問題なさそうですが,先にも書いたように,香織たちには子供が産まれる予定です。
しかし,百合子は「徘徊」が始まっていました。一緒に住めば,かなり苦労するであろうことは想像できます。
初めのうちは介護サービスやデイサービスを利用することを検討します。
それを母親が知ったらどんなことを考えるのか,そんなことを思いました。
ある老人ホームの経営者である観月は泉に言うのです。
「葛西さんはドトールとかマクドナルドに行かれます?」
最初は質問の意図が読めませんでしたが,つまりこういうことです。
「その場所にずっといられますか」と。
なるほど。確かにそれは難しい。僕自身もタリーズやスタバなどのカフェで,こうやってブログの原稿を書き続けていますけど,同じ場所にずっといられないです。
だからカフェの「はしご」ではないですが,気分転換に場所を変えるのです。
同じ場所にいることを想像してみてください,そして母親も同じようになるということを想像してください,と言われているわけですね。
介護施設に自分の親を入居させるということは,そういうことなのです。
しかし,環境の良い,観月が経営する介護施設に入居することに決めました。
百合子の部屋からは海が見えます。百合子は自分の部屋を気に入っている様子でした。
しかし,徐々に記憶を失っていく様子の百合子。
泉の人生の中で,どうしてもわからないことがありました。
それは昔,ある日突然百合子が家からいなくなったことでした。
家に一人取り残された泉。なぜ母親は出て行ったのか。
しかし,最終的には約一年くらいで百合子は戻ってきました。
何もなかったかのように振舞う百合子。泉もそれ以上は追及しませんでした。
しかし,介護施設への引っ越しの荷物の中に,その「秘密」が隠されていた日記を見つけるのです。
一体,百合子が出て行った空白の数年間には何があったのでしょうか。
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泉が見つけた物。それは1994と1995と書かれた二冊の日記帳でした。
泉が中学二年生の頃に謎の失踪と遂げた母親百合子。
日記にはその秘密が書かれていたのです。泉は日記を読みながら,徐々に「あの頃」の記憶が蘇ってくるのです。
百合子がいなくなった理由。それは,ある人物との出会いでした。浅葉という男性です。彼は大学の教授をしていて,家族もありました。
日記には浅葉との生活が書かれていたのです。
大好きな浅葉とともに新しい家に引っ越しをしたこと。
浅葉のために食事を作って上げたこと。浅葉の大学での仕事のこと。
浅葉が友人の結婚式の余興でピアノを弾けるようになるために百合子がレッスンしたこと。
浅葉の勤務する大学にこっそりと忍び込んだこと。
浅葉と一緒に洋食店で食事をしたこと。
百合子にとって楽しかったことが書いてました。しかしその逆もありました。
二ヶ月に一度,浅葉が自分の本当の家族がいる家に帰ること。
浅葉と初めて喧嘩をしたこと。
そこには泉が知りもしなかった,いや,知りたくもなかった真実が書かれていました。
「乱暴に体を突き上げられる」という表現がその時の泉の心情を表していると思いました。
自分を捨てて,愛する男性の元へ行った百合子のことを,泉は許せるのか。
「わたしはあなたのことを愛しているわ」
百合子は泉に言いますが,日記を見つけてしまってからは,この「あなた」とは一体誰のことを言っているのか,不信感でいっぱいになっているように思いました。それでも百合子に寄り添う泉。とても複雑な気持ちだったのではないでしょうか。
どんどん記憶を失い「母親の言うことに合わせること」に疑問を抱く泉。どこか「子供だまし」のように思っているようです。
ある日,泉は百合子を連れて「花火大会」へ行くことにします。「諏訪湖祭湖上花火大会」です。
百合子は「はんぶん花火」と言います。何のことかわからない泉。
多くの屋台を横目に,花火を見る場所を探します。そして花火大会は始まりました。いろいろな都道府県で作られた花火の展覧会のような花火大会。
打ち上げが終わりますが,泉は百合子とはぐれてしまいます。一生懸命百合子を探す泉。
かつて,自分を置いていなくなったことを思い出したりしたのでしょうか。
必死の思いで探している泉に,「あなたは大げさなんだから」という声が。
「あなたどこ行ってたの。随分探したんだから」
泉は怒りをグッと堪え,百合子と向き合います。そしてまた,
「半分の花火がみたいの!」
と言い始めます。一体,はんぶん花火とは何なのか。そしてとうとう衝撃の一言が泉を襲います。
「あなたは誰?」
心の中では覚悟はしていたでしょう。しかし,実際に自分の親からそれを言われるのはとても辛かったに違いないです。
介護施設で過ごしていた百合子も,徐々に衰弱していました。とうとう最期を迎えます。
百合子は介護施設で亡くなりました。火葬場で百合子の骨を掴み,壺の中に入れていく泉。涙もありませんでした。一人,百合子の家に戻った泉。「はっ!」と思い出します。この家から見た花火のことを。
建物の上から半分だけ見える「はんぶん花火」のことを。
泉は幼い頃にちゃんと見ていたのでした。そして百合子はそれを覚えていたのです。
「あなたはきっと忘れるわ。みんないろいろなことを忘れていくのよ。それでいいと私は思う」
僕自身が号泣したシーンでした。
そしてその花火はいろいろな形や色をしていて,まさに「百花繚乱」の花火だったのです。
僕自身,母親と話していて思うのは,昔のことは本当によく覚えているということです。僕の知らない,幼い頃のことを語ってくれることもあります。
しかし,僕自身が強烈に覚えていることを,親は案外覚えてなかったりするんですよね。
しかし最近では,さっき何をやっていたのか,薬は飲んだのか。いわゆる「短期記憶」はなくなるのが速いように思います。
年齢とともに,百合子は多くのことを忘れていき,逆に泉は過去のことを思い出していく。
まさに反比例のごとく。
思い出って,とても嬉しかったことや,逆に辛かったことはよく覚えているような気がします。
そして,親と子供では見ている視点が異なるので,捉え方や記憶自体が異なることがあるのではないか。泉と百合子の親子にとっても同じだったのかなって思います。
本作品を読んで,自分の母との接し方を改めて考えさせられました。
時々実家へ行って,両親とできるだけたくさん昔話をしたいな,と思わせられる作品でした。
● 認知症の親とどう接すればよいのかを考えさせられた
● 泉と百合子の過去の出来事に衝撃を受けた
● 自分が忘れていても,親にとっては決して忘れられないことがある