真保裕一先生の「雪山」をテーマにしたものを読んでみたいと思ってました。
以前読んだ「ホワイトアウト」ではダムを乗っ取るテロリストとの戦いを描かれていました。
そこではダムを制御する場所を目指すシーンがあって
「これ,登山とか雪山のことを知らないと描けないのでは?」
って思った記憶があります。
登山というと,僕の場合は「竜馬がゆく」の一節に,かの坂本龍馬が霧島の「高千穂の峰」に登るシーンを思い出します。
僕自身も登ったことはありますが,それでも1600m弱の山です。雪も降ってない環境で登りましたが,とてもキツかったのを思い出します。
今回登場する山は8000m級の山々たちです。これを読めば,自分たちの登山は,トレッキングと言っても過言ではないかもしれません。
夢枕獏先生の「神々の山領」を以前ブログに書きましたけど,本当の雪山を目指すことがいかに過酷かということを考えさせられます。
本作品は「新田次郎文学賞」を受賞しており,真保先生の作品の中でも評価されている一つであるのは間違いないです。
3つの短編で構成されていますが,どの短編も深みのあるよい作品で,どれをメインに持ってきても遜色ない,とても引き込まれる作品です。
ただ今回はタイトルにもある「灰色の北壁」という短編についてのみ書いてあります。
「黒部の羆」「雪の慰霊碑」ともに短編にしているのがもったいないくらい良い話だったんですけど,敢えて「灰色の北壁」のみに焦点を当てました。
どの話も深みがあるので,是非,読んでいただきたいと思います。
目 次
1. こんな方にオススメ
2. 登場人物
3. 本作品 3つのポイント
3.1 刈谷の登攀の疑惑
3.2 疑惑の元になった写真
3.3 驚愕の真実
4. この作品で学べたこと
● 山岳ミステリー小説を読んでみたい
● 最高峰の山々を登攀することの過酷さを知りたい
すべての謎は、あの山に 渾身の山岳ミステリー
新田次郎賞受賞作
世界のクライマーから「ホワイト・タワー」と呼ばれ、恐れられた山がある。死と背中合わせの北壁を、たった一人で制覇した天才クライマー。その偉業に疑問を投じる、一編のノンフィクションに封印された真実とは……。表題作の他に「黒部の羆(ひぐま)」「雪の慰霊碑」を収録。新田次郎文学賞を受賞した山岳ミステリー集。
-Booksデータベースより-
わたし・・・「灰色の北壁」を描いたジャーナリスト
刈谷修・・・「灰色の北壁」の登場人物。初めて北壁を登ったとされる
御田村良弘・・初めて「ホワイトタワー」と登った日本人
御田村和樹・・良弘の息子。
刈谷ゆきえ・・刈谷修の妻。御田村良弘の元妻
1⃣ 刈谷の登攀の疑惑
2⃣ 疑惑の元になった写真
3⃣ 驚愕の真実
世界のクライマーから「ホワイト・タワー」と呼ばれ、恐れられた山がある。
死と背中合わせの北陸を、たった一人で制覇した天才クライマー。
その偉業に疑問を投じる、一編のノンフィクションに封印された真実とは
-本作品概要より-
これが本作品の背表紙に描かれた概要です。
作中の「わたし」が書いたノンフィクション。それは,刈谷修というクライマーが世界初の偉業を成し遂げたものでした。
「カスール・ベーラ」ヒマラヤ山脈の中にある一つの巨大な山。
その姿がまるで白い塔のような形をしていることから,世間からは「ホワイトタワー」と呼ばれています。
山の高さは7981m。その頂までは約3kmに渡り,まさに塔のように垂直に登っています。
この山を調べてみたんですけど,架空の山なんでしょうか。モデルになった山があるのかもしれないですね。
御田村良弘という人物がこの山に世界で初めて登攀(とうはん)に成功したというのが原点のようです。これまで何人もの人物がホワイトタワーに登攀していますが,北壁から登り切った人間はいませんでした。
それに成功したのが刈谷修で,それが世界初であるということで「わたし」はノンフィクションで「灰色の北壁」を描いたのです。
作中でもこの登山が過酷であったことを物語る表現があります。
体感温度は零下30度を遥かに下回り,ゴーグルの下で涙が凍りついて瞼や目を動かすのでさえ抵抗感がある。
苦しいからと慌てて息を吸ったのでは,鼻腔や気管までが凍り,灰に冷気のナイフが襲いくる。
という登山する者の視点で描かれている部分もあれば,山の視点では,
風はやむことを知らず,神に近づこうとする愚かな人間を嗤い,吹き飛ばそうと手加減なく攻めてくる
山の頂上は神聖なる場所であり,そう簡単に登りきることを許さないのかな。
本当に過酷で,厳しい世界なんだろうなと想像します。
しかし,刈谷は危ない場面は何度もありながらも,登攀に成功したのです。しかも単独登攀。
通常はチームを組んで,途中でキャンプを張ったりして状況を見ながら時間をかけて頂上を目指します。
しかし,1990年にスロヴェニア人のトモ・チェセンが,たった3日間でローチェという8516mの山に,ソロ(一人)で,しかも「無酸素」で登攀しました。
無酸素とは,酸素ボンベを担がずに上るということ。もちろん空気が薄い高い山々では,酸素が少ないと「高山病」になる恐れもあります。
高山病とは
日時や場所がわからなくなるなどの精神状態の変化や、まっすぐ歩けないなどの運動の異常が生じる。
また,肺がむくんで安静にしていても呼吸が苦しくなったり、放置すると死に至ることがあある
-厚生労働省検疫所サイトより-
そのソロでの登攀に成功したのが刈谷でした。その達成の瞬間を描いたのが「灰色の北壁」でした。
ところが,この作品に対し,問題が出てきたのです。
「刈谷修は,本当に北壁を制したのか?」
という疑問でした。本の出版社にも電話が入ります。
名前は明かされませんが,あるモノがそれを証明しているというのです。
一体「刈谷が登攀に成功していなかった」という根拠はなんだったのでしょうか。
「わたし」が描いたノンフィクション「灰色の北壁」は,多くの読者に読まれました。
しかし,読者の多くが刈谷の偉業に疑問を持っていたのです。
その代弁者として「わたし」が祭り上げられたわけです。刈谷は世間が疑惑の登攀であると考えているのを知っていました。
そして,それが真実であることを証明するために「カンチェンジュンガ」という山に登るのです。
カンチェンジュンガとは
ネパール東部のメチ県タプレジュン郡とインドのシッキム州との国境にあるシッキム・ヒマラヤの中心をなす山群の主峰。
標高8586 mはエベレスト、K2に次いで世界第3位の山。
刈谷の妻であるゆきえがベースキャンプで見守る中,刈谷は登攀を目指します。
ところが登っているところに,落石が起き,その一部が頭部を直撃して,刈谷修は亡くなってしまったのです。
「疑惑の登攀者」であった刈谷が亡くなったことで,心無いことを言う人間が増えました。
そのことに「灰色の北壁」を描いた「わたし」は心を痛めていたわけです。自分の描いたノンフィクションが,結果的には疑惑にまで発展したわけですから。
刈谷夫妻は,アメリカ西海岸の「ヨセミテ」に住んでいました。日本で生活するのは難しいと判断したのでしょう。
夫を亡くしたゆきえの元を訪ねるため,「わたし」はサンフランシスコへ向かいます。
そして,刈谷の家に辿り着いた「わたし」は家の外からゆきえに問いかけます。
しかし,ゆきえは家から顔を出そうとしません。
ゆきえの気持ちを考えればわかるような気がします。登攀に疑惑を持たれているのに,余計なことを言いたくないでしょうから。
しかし,次の瞬間,ゆきえが顔を出し「わたし」に言い放つのです。
「あなたは何の権利があってわたしたちを。。。。」
この言葉の真意は何なのか。そして,
「あの人を死なせたのはわたしです。わたしが刈谷修という素晴らしいクライマーを。。。」ゆきえはそう言いながら嗚咽を漏らすのでした。結果的に他の男性と再婚したことを,自分自身で攻めているようでした。
ここで,なぜ刈谷が登攀していないと言われた決定的理由を説明します。
実はある写真が原因でした。
ここに一枚の写真がある。
「カスール・ベーラ北壁」の単独登攀に成功した後,その山頂で撮った写真のうち一枚として発表したものがある。
御田村良弘が初めてその頂を極めた時も,タワーの上部は白いガスが取り巻いていた。刈谷が北壁を制した時も同様だった
つまり,この頂上から撮った写真が,御田村の写真を使用して公開したのではないか,という疑惑があったのです。
しかも,登攀した時刻がほぼ同じで,写真に映った人物の影が,同じように見えるということです。
生前の刈谷はこれに対して懸命の主張をしますが,やはり憶測が憶測を呼ぶのでしょうか。
刈谷はすでに亡くなっているので「死人に口なし」です。
しかしこの後,驚愕の真実が明らかになります。
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「わたし」の元に一人の青年が訪ねてきます。御田村和樹。あの御田村良弘の息子でした。
彼は登山ではなく「フリークライミング」をやっているようです。体育館で練習している和樹を見つめる「わたし」。「わたし」は,刈谷ゆきえを訪ねてヨセミテへ行ったことを伝えます。ゆきえは和樹の母親でもあります。ここで和樹は思いもよらないことを話し出します。
いつになるかわからないけど,絶対にあの北壁を登ってみせる。
そう決めてるんです。
やはり和樹も「灰色の北壁」を読んだことがある一人のようです。
「わたし」は和樹に尋ねます。なぜ山に登るのかと。
「父たちが見た光景を,僕もこの目で確かめてみたいんです」
かつて「なぜあなたはエベレストに登りたかったのか?」という問いに対し,
「そこに山があるから」というイギリスのジョージ・マロリーの言葉とは違う言葉。
和樹は確かに北壁を登攀したいという気持ちはあるだろうけど,本当は自分の父が
「北壁に登ったのかどうかの真実を知りたい」
と思っていたように思います。だからその真実を知るために「わたし」に会いにきた。そして和樹の父親である良弘が,登山のためのトレーニングを始めたというのです。
どうやら「わたし」は疑惑の真相に気づいていたようです。
実は,刈谷は「確実に北壁に登攀」していた!
では,御田村の写真は何だったのか。実は,御田村良弘の方がカスールベーラに登攀していなかったのです。
その証拠はリック・スタインという登山家がカスールベーラに登攀した時の様子を描いた一冊の本でした。
彼らが登攀に成功した時に,御田村が突き刺したはずの日の丸の旗が無かったのです。それが本当なら,初登攀に成功したのは御田村ではなく,リック・スタインであるということ。
刈谷はカメラマンでもあります。登攀した際に目にした光景に驚愕します。
御田村が写した写真とその光景は微妙に異なっていたのです。
それであれば刈谷は自らその事実を打ち明ければよかったはず。でもしなかったのです。
刈谷はなぜ御田村が登攀していないことに気づきながら訴えなかったのか。
それは,刈谷自身が御田村の元妻と再婚したという後ろめたさがあったのでしょう。
だからわざと御田村が写した写真と同じような写真を選んで公開した。これは刈谷の御田村に対する「贖罪」だったのでしょうか。
きっと,御田村和樹もその本を読んで確信したのでしょう。御田村は悔やみます。下記は御田村の言葉です。
男としても,クライマーとしても,わたしはあいつに負けていたんだ。
それが悔しくて,悲しくて。。。
そして最後のシーン。そこはヒマラヤ。カスールベーラ登攀を目指した二人の親子の姿がありました。
それは,御田村良弘をリーダーとする先発隊と,第二隊の一員である御田村和樹の姿でした。
本作品を読んだときの感動は今でも忘れないです。
「なぜ人は山に登るのか」これは「神々の山領」を読んだときにも思ったことでした。
やはり人は,誰も成し遂げられなかったことを成し遂げたい,と思う生き物だからではないかなと思います。
世界一高い山に登攀するというよりは,誰も登攀したことのない山に登り,名を遺したい。オンリーワンになりたい。
かつて「孤高の人」を描いた新田次郎先生が本作品を評価したのもわかるような気がします。
いつかこの「孤高の人」も読んでみたいと思います。
● 人間の極限を描く山岳小説の面白さ
● 「人はなぜ山に登ろうとするのか」ということ
● 誰も成し遂げたことがないことを成し遂げたい