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【水の柩】道尾秀介|ある人物がついた嘘とは

水の柩

冒頭で2つの手紙が描かれています。

吉川逸夫と木内敦子は小学生の頃、タイムカプセルに「30年後の自分へ」と題して手紙を書きました。

逸夫は自分の20年後を想像しながら書いていましたが、敦子の方は、自分を虐めた女性たちを告発するような文面です。タイムカプセルこの時点で誰かは書かれていませんが、おそらく壮絶ないじめにあっていたのでしょう。

まるで、自分が身を投げて亡くなる代わりに告発文を書いているにも思えます。

一体、この手紙どおりにタイムカプセルが開けられるのか。

今回のテーマは、二人の女性がついた「嘘」です。

そして「水の柩」とは何を意味するのかがポイントでもあります。

こんな方にオススメ

● 「水の柩」とは何を意味するのか知りたい

● 人間がついてしまう「嘘」について考えてみたい

作品概要

タイムカプセルに託した未来と、水没した村が封印した過去。時計の針を動かす、彼女の「嘘」。平凡な毎日を憂う逸夫は文化祭をきっかけに同級生の敦子と言葉を交わすようになる。タイムカプセルの手紙を取り替えたいという彼女の頼みには秘めた真意があった。同じ頃、逸夫は祖母が五十年前にダムの底に沈めた「罪」の真実を知ってしまう。それぞれの「嘘」が、祖母と敦子の過去と未来を繋いでいく。
-Booksデータベースより-


主な登場人物

吉川逸夫・・・主人公。いくの孫であり、敦子のクラスメイト

木内敦子・・・逸夫のクラスではいじめに遭っている

いく・・・逸夫の祖母で、一家を支える女性

本作品 3つのポイント

1⃣ 敦子の苦悩を知る逸夫

2⃣ 「いく」がついていた嘘

3⃣ 「嘘」をつく理由

敦子の苦悩を知る逸夫

逸夫の祖母であるいくは、裕福な家庭に育ち、宿屋を経営しながら生きている、強い意志を持った人物です。

逸夫には、ちゃんと両親もいましたが、いくの力は大きかったようです。いくいつかは宿屋を継ぐのだろうなと、逸夫自身も考えている様子です。

いくは蓑虫を育てていました。この蓑虫が後々意味を持っていると感じるようになります。

逸夫には気になっている女性がいました。木内敦子です。

敦子は、学校でいじめに遭っていました。幼い妹とともに引っ越してきた敦子を、クラスメイトは容赦なくいじめるのです。いじめに遭う敦子辛い辛い日々を苦しみながらも生きている敦子。とうとう敦子は「自殺」することを決意します。

そしてそれを20年後に告発しようとしたのが冒頭の手紙です。

ところが、どういうわけか敦子の心に変化が現れます。校庭に埋めたタイムカプセルの手紙を無かったことにしたいと考えます。

このまま20年後に手紙がみんなの前で披露されれば、敦子は彼女たちに仕返しができると考えていました。しかし敦子は

「自分がされたことを忘れようとしても、あの手紙があるとできないから」

と思い直すのです。そして掘り返す決断をするのです。敦子一人では掘り出すのにかなりの労力を要するはず。

なんせ、タイムカプセルを埋める際にはショベルカーを使っていたようですから。

敦子は逸夫に手伝ってもらうことにします。もちろんその理由も話します。

逸夫は、敦子がいじめられていることにショックを受けます。

敦子の気持ちを汲んだ逸夫は一緒に校庭に埋まっているタイムカプセルを掘り出し、手紙を入れ替えようとします。タイムカプセル家族には「学校での宿泊学習」のような形にし、「しおり」まで作って家族に嘘をつきます。

ある日の夜遅く、敦子と逸夫は学校へ向かいます。

50cm、1mと掘り進め、ようやくタイムカプセルに辿り着き、手紙を入れ替えました。

その後、どういうわけか、敦子への嫌がらせが止まります。

しかし、それは一時的なものでした。

文化祭でお化け屋敷をすることになった逸夫と敦子のクラス。文化祭「死体」の代わりとなる3体の人形も作ります。

敦子は真っ暗な中で、いじめられていたクラスメイトから、さらに嫌がらせを受けます。

逸夫がそれを知ったのはだいぶ後になってからでした。

そして逸夫は、ふらふらとダムへ向かって行く敦子の姿を見るのです。

敦子が自殺をしようと決意していたことを逸夫には話さず、ただ手紙を入れ替えたいという「嘘」をついていたわけです。

敦子は本当に自分の計画通りに成し遂げてしまうのでしょうか。

「いく」がついていた嘘

いくの元にある人物が現れる。いくがかつてダムに沈む前の村で仲が良かったテルです。

「あ、やっぱりいくちゃんだ」

しかし、いくは彼女の言葉に「自分に触れてほしくない」というような対応をします。いく逸夫は違和感を感じます。「なぜ、いくはよそよそしいのだろうか」と。

実はいくは家族にある「嘘」とついていました。

かつて、いくが住んでいた場所は、現在で言うところのダムの底にある村でした。

養蚕業を営んでいたいくの実家は、紡績工業の進出で経営が下降していました。

そんな頃、出てきたのがダム建設計画です。今から50数年前の話です。

村で育った「いく」には友達もいました。「たづ」という女性です。二人はとても仲良しでした。

「ダム建設ヤメロ」という立て看板が出てくるようになります。ダム建設反対しかし一方、ダム建設による補助金を目当てにしている者もいたようです。

どうやらたづの親もこの補助金目当てに家族を水増しして多大な請求をしたりしていました。

ある日、たづと一緒にいたいくは、泥だらけになったたづを振り払ってしまいます。

たづは自分で転んでしまったのか、何者かに暴行されたのか、その辺りははっきりとは表現されていません。

いくに押し倒されたたづは亡くなってしまうのです。

不可抗力ではありますが、いくは周囲の人間から責められます。「人殺し」と。

そしてそれは自分の家にも影響が出ます。蚕繭を誰も買ってくれなくなり、経営が悪化します。とうとう、いくの父親は首を吊って亡くなってしまうのです。

葬儀そして村はダム建設により「ダムの底」へ沈んでしまいます。

その時いくが考えたこと。それは「胸が急にすぅっと楽になる」感覚だったようです。

自分にとっておぞましい記憶がダムとともに消えていったということでしょうか。

これがいくがついていた「嘘」でした。

嘘をつき続けていると、嘘が本当のことのようになっていまう

これ,ある意味正しいような気がします。僕もあります。自分の記憶が正しいと思っていたことを,他人に否定されてしまうこと。

自分の都合のいいように記憶が変換されているのかもしれません。

いずれにしても,いくにとって、どうしても忘れたい過去だったんですね。

「嘘」をつく理由

※ネタバレを含みますので,見たい方だけクリックしてください!

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何かが解決するのと、何かをすっかり忘れてしまうのと、どう違うのだろう。

いくと敦子を見ていると、逸夫はわからなくなる。

忘れることと、忘れずに乗り越えることの違いはどこにあるのだろう。

-本文より-

逸夫は、過去に苦しむ「いく」と「敦子」とともに、ダムへ向かいます。あの文化祭で使用済になった重い人形を持って。

ダムに辿り着いた面々。持ってきた人形をダムに投げ捨てます。まるで、これまでの「嘘」を清算するかのように。

ダムに投げ込む憑き物が落ちたような敦子やいく、そして逸夫も含め、新しい人生の始まりの予感がしました。

その証拠に、特に敦子はいじめてくるクラスメイトに対して、人が変わったように抵抗し、いじめを克服します。

過去を清算したことで、体の中から勇気が湧いてきたような感覚です。

そして冒頭の「蓑虫」の存在。いくは蓑虫に何を見ていたのでしょうか。

蓑虫の生態。幼虫である蓑虫。実際には蓑虫は「蓑」の中に入っている虫のことなんですよね。それを含めて蓑虫と呼んでいます。いつかはサナギになり、成虫になっていく。蓑虫その「蓑」は周囲の環境に合わせて幼虫自身が作り上げる。

幼虫はそれぞれ自分自身の「蓑」を作り、自分自身を覆い隠している。

今回の話ではまるでその蓑が自分を護る「嘘」であるかのように。

「全てを忘れて、今日一日から始まる」という言葉が印象的でした。

「嘘が真になる」という言葉があります。

僕自身も、自分の都合のいいように思いこんできたことが、いつの間にか真実として記憶されていることってあります。記憶人間、どうしても辛いことから逃げたい、だから嘘をつくということはよくあるのではないでしょうか。

いくは辛い過去を忘れるよう、嘘をつき続け、それで周囲の人間も信じ、まるでそれが真実であるかの状況になりました。

また敦子も辛い自分を忘れるために嘘をついてまで逸夫を頼った。

しかし、敦子は逸夫に自分の苦しい気持ちや自分の大きな決断に気づいてほしかったのではないだろうか。

過去を忘れようとしたいくと、過去を乗り越えた敦子。

どちらが正しいかはわかりませんが、「嘘」の裏には人それぞれ何かしらの意図があったように思います。

水の柩」という言葉。

水の柩それはかつてダムに沈んだ「村」であり、逸夫たちが辛い過去とともに沈めた人形だったのかもしれません。

この作品で考えさせられたこと

● 人が「嘘」をつく理由には、ひとそれぞれの思いがある

● 知られたくない、誰かに気づいてほしいという理由があるのだと思う

● 辛いことがあっても、前を向かせてくれるような作品でした

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