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【死にゆく者の祈り】中山七里|教誨師と死刑囚の友情

死にゆく者の祈り

みなさんは,教誨師(きょうかいし)という職業をご存じでしょうか。

ウィキを見ると「服役中の囚人に対して、過ちを悔い改め徳性を養うための道を説く者」とあります。教誨師こういう仕事が世の中に存在するとは知りませんでした。

今回はこの教誨師と,死刑となった囚人との複雑な関係が描かれています。

こんな方にオススメ

● 教誨師の役割について知りたい

● 本作品の教誨師が,なぜ死刑受刑者を救おうとするのかを知りたい

● 死刑制度について考えてみたい

作品概要

何故、お前が死刑囚に。教誨師の高輪顕真が拘置所で出会った男、関根要一。かつて、雪山で遭難した彼を命懸けで救ってくれた友だ。本当に彼が殺人を犯したのか。調べるほど浮かび上がる不可解な謎。無実の罪で絞首台に向かう友が、護りたいものとは――。無情にも迫る死刑執行の刻、教誨師の執念は友の魂を救えるか。急転直下の“大どんでん返し”に驚愕必至。究極のタイムリミット・サスペンス。
-Booksデータベースより-



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中山七里さんの経歴

1961年生まれ 花園大学文学部国文学科 卒業

2011年「さよならドビュッシー」でデビュー

ピアニストで検事の息子でもある「岬洋介シリーズ」・弁護士の「御子柴礼司シリーズ」・刑事の「犬養隼人シリーズ」・法医学の「ヒポクラテスシリーズ」などマルチな分野の作品を描くすごい方です

主な受賞歴

2009年このミステリーがすごい大賞(さよならドビュッシー)

「死刑」について考えさせられる作品はこれまで何度も読んできました。

東野圭吾さんの「虚ろな十字架」もそうですね。

それらの作品で共通しているのは,加害者の立場と被害者の立で考え方についてとても考えさせられるということです。

強盗殺人,複数人の殺人,無差別殺人など,死刑になる判例というのはある程度基準があるようです。

被害者の視点に立てば,特にその親族の気持ちを考えれば,それはとても許せないでしょう。

僕自身もそうですが,自分が一生懸命育てた人間を殺害された親の気持ちになってみれば,誰であっても加害者を許すことはできないと思います。

遺族の気持ちしかし,もしその裁判が誤審だったら?

有罪率99.9%という数字の裏には0.1%の冤罪があるということです。

死刑執行その容疑者が死刑になってもよいのでしょうか。

この作品は,死刑と冤罪という間の中で,教誨師である主人公の「顕真」が,親友の死刑に苦悩する姿が描かれています。

本作品 3つのポイント

1⃣ 教誨師の役割

2⃣ 顕真の越権行為

3⃣ 死刑執行直前の抵抗

教誨師の役割

教誨師の仕事は先ほど述べたように「囚人に寄り添い,悔い改めるための教えを説く」ことです。

つまり,刑務所内で過ごす人間に自分の起こした過ちを考えさせ,あるべき姿へと導くということでしょう。

刑務所この作品では高輪顕真という教誨師が主人公で,囚人に対して講話をしている時に,大学時代の同期である関根要一を見つけるところから話は始まります。

その関根が「死刑」となっていることがわかります。

自分のかつての親友が死刑となっていることに対し,絶句します。

顕真と関根は大学時代に山岳サークルにいました。そこで顕真たちは遭難しますが,関根に命を救われます。

そんな関根が殺人を犯すはずがない,しかも死刑というのはとてもじゃないが信じられないわけです。

そう思いながらも顕真は関根に教えを説くのです。親友の面会そして最後には関根の死刑執行を見届けなければならないのです。

どんな気持ちで関根と接していいのかわからない,手探りで関根との時間を取り戻そうとしている顕真の姿はかなり苦しそうでした。

しかし,教誨師として関根に接していた顕真は徐々にその死刑判決を疑うようになります。

つまり「冤罪なのではないか」と考えるわけです。

この辺りから顕真は,越権行為に走っていくようになります。

顕真の越権行為

本来教えを説くことだけが仕事であるはずの顕真は,以前関根の弁護士をしていた人物から情報を仕入れたり,さらにその関根を警察で取り調べていた文屋(ふみや)にも接近します。

その文屋とともに被害者家族に聞き込みを始めるのです。

関根の冤罪を証明したい。その一心で顕真は動くんですけど,被害者家族から話を聞いて愕然とするのです。

顕真はまさに加害者を何とかしたいという気持ちだけで動いていて,被害者親族の気持ちを全く考えていないことに気づくのです。

自分の娘を殺害された親,自分の息子を殺害された親。

確かに,加害者が生きていて,自分の子供は亡くなっている。

あまりに夢中になりすぎ,その被害者の気持ちがおざなりになっていたわけです。

なぜ死刑囚のために教えを説く必要があるのか

加害者が精神的に救われ,被害者はこの世におらず,救われないではないか

被害者遺族の気持ちとしてはそう思って当然だと思います。遺族の怒り冤罪とは思っていない被害者遺族からすれば,顕真自身のやっていることは果たして正しいことなのか。

苦悩する顕真の気持ちがよく表れています。

死刑執行直前の抵抗

※ネタバレを含みますので,見たい方だけクリックしてください!

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顕真は師匠からも注意を受けます。

これはまさに警察の仕事であって,教誨師である顕真の仕事をはるかに超えています。

それはあなたの仕事ではない」と。師匠からの説教しかし,それでも顕真は止まりません。なぜなら「冤罪」の確信があるからです。

犯人が実は関根の息子ではないかということを突き止めたからです。
顕真は必死に動き回ります。いつ関根の死刑が執行されるかわからないからです。

彼のやることは二つ。

一つは関根の息子に犯罪を認めさせること。

そしてもう一つは関根に本当は犯人ではないことを話させることでした。

何度も何度も関根に本当のことを話させようとする顕真の必死の説得が身に沁みました。

そしてとうとう関根の死刑執行が決定してしまいます。

死にゆく者の祈り」というタイトル。

関根の祈りとは,自分の息子のために罪をかぶり,そのまま墓場へ持っていくことだったのです。

教誨師は死刑執行に立ち会わなければなりません。

執行される関根の姿を顕真は見なければならないのでしょうか。

この最後の数ページの顕真の行動には読んでいる僕自身も心を打たれました。

顕真が関根をここまで救おうとしたのは,やはり山岳サークル時代に救われたことがあったからでした。

山岳サークルでの恩顕真にとって何よりも大事だったのは,命を救ってくれた関根の命を救うことだったのです。

今回はあえて死刑執行を止められたのか,止められなかったのかはここでは敢えて書きませんでした。

死を目の前で見届けるというのは想像したことはありませんでしたが,教誨師という仕事を通して,深く考えさせられました。

この作品で考えさせられたこと

● 教誨師が死刑執行を見届ける瞬間の辛さ

● かつて命を救われた人間は,救ってくれた人間がピンチの時に何とか救おうとすることがある。それは人間の本能かもしれない

● 冤罪の可能性があるということが,死刑制度を廃止にする一つの理由である

是非この作品を読んでほしいと思います!

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