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【慟哭の海峡】門田隆将|奇跡的に生還した兵士と「やなせ兄弟」

慟哭の海峡

本作品はノンフィクション。戦争当時のこと、そして現代にそのことを伝える人物からのインタビューを元に、門田隆将先生が書き上げたものです。

2013年10月に亡くなった二人、やなせたかしさん(94歳)と中嶋秀次さん(92歳)の戦争体験とその後の人生を描いています。

やなせたかしさんと言えば、もちろん「アンパンマン」の作者です。彼の弟が戦争で亡くなり、それを元にかの有名なアニメを作り出したというのも考えながら読みました。

やなせたかしさんの弟である柳瀬千尋さんと中嶋秀次さん、彼らは直接の面識はありませんでしたが、共に太平洋戦争中のバシー海峡に深い関わりを持っていました。

なぜ、柳瀬千尋さんは戦争で亡くならなければならなかったのか。

中嶋さんの記憶、そして兄のやなせたかしさんの記憶をベースに書き上げられた本作品、是非読んでほしいと思います。

目 次
1. こんな方にオススメ
2. 登場人物
3. 本作品 3つのポイント
3.1 中嶋秀次という人
3.2 柳瀬千尋という人
3.3 やなせたかしという人
4. この作品で学べたこと

こんな方にオススメ

● やなせたかしさんの弟のことを知りたい

● 慟哭の海峡という言葉の意味を知りたい

● 壮絶な戦争体験をもっと知りたい方


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主な登場人物

中嶋秀次・・・海軍に志願した人物。戦争で生き残った

柳瀬千尋・・・戦争で亡くなった人物

柳瀬嵩・・・・千尋の兄で、後の「アンパンマン」の生みの親

本作品 3つのポイント

1⃣ 中嶋秀次という人

2⃣ 柳瀬千尋という人

3⃣ やなせたかしという人

中嶋秀次という人物

中嶋は海軍に属しており「玉津丸」の乗船していました。この玉津丸は大型母船であり、5000人もの海軍の精鋭たちを乗せた戦艦でした。この戦艦はフィリピンのルソン島のマニラを目指していました。

その目的地の途中にあるのが、フィリピンと台湾の間にある「バシー海峡」です。実はこの海峡を通る時には不安な要素がありました。南下するためには必ずこの海峡を通るため、敵もこの場所を通る船を狙っていたのです。

そして中嶋がのる玉津丸は潜水艦による「魚雷」によって攻撃されてしまったのです。そして多くの海軍たちが海に投げ出されてしまいます。中嶋も例外ではありませんでした。

中嶋は必死に助かる道を探します。そして一つの筏(いかだ)を見つけ、それにしがみつくのです。投げ出された兵はたくさんいて、南の海は綺麗に澄んでいるため、沈んでいく兵士たちがたくさん見えたといいますから、中嶋さんもきっと複雑な思いをしながら、でも生きなくてはならないと必死だったのだと思います。

この筏に乗っていたのは中嶋さんともう一人の兵士でした。しかし、水もない、食料もない。あるのは目の前の海水だけ。飲み続けていれば内臓をやられてしまう状況。漂流して10日以上が経過した頃、日本軍の船が助けにやってきました。救われた二人。

ところが船に引き上げられた直後、安堵感からか、もう一人の兵士が亡くなってしまったのです。目の前で一緒に生き延びたはずの人間が亡くなるという、途轍もなく辛い状況に陥るわけです。

そして中嶋さんは日本に帰ることになるのです。

戦後は、戦友たちの慰霊のため、多くの人からの寄付金などを集め、台湾の猫鼻頭岬(びょうびとうみさき)に「潮音寺」を建立し、生涯をかけて慰霊活動を続けました。

それは戦争の記憶を後世に伝えるためでした。生前は精力的に講演活動や執筆を行い、多くの人々に平和の大切さを訴え続けました。晩年も精力的に活動を続けたのです。

柳瀬千尋という人物

中嶋が日本に帰還した頃、中嶋が救出された海域で駆逐艦「呉竹(くれたけ)」が撃沈されました。この駆逐艦に乗船していたのが、柳瀬千尋という人物です。そう、かの「やなせたかし」の弟です。

駆逐艦(くちくかん)とは

敵艦船や航空機を駆逐することを主な任務とする艦船です。高速で機動力に優れ、強力な兵器やセンサーを搭載しています。

駆逐艦は主に海軍で使用され、戦闘に特化した艦船です。これらの艦船は、対空戦、対水上戦、対潜戦など、様々な戦闘任務に対応できる能力を備えています。

ちなみに護衛艦(ごえいかん)とは、主に海上自衛隊や他の海軍で使用される艦船で、主な任務は他の艦船や船舶を護衛し、海上の安全を確保することです。

-意味違い辞典サイトより-

柳瀬千尋はかなり頭が良かったようで、京都帝大に在籍していました。しかし、日本の戦況が悪化するにつれ、多くの若者が戦争へと招集されるようになります。

千尋は海軍を志望しました。陸軍はかなりの体力がいると思っていたからです。海軍も陸軍も大変だと思いますが、確かに陸軍の方がキツそうなイメージはありますよね。

柳瀬兄弟は、高知県に生まれます。兄の嵩(たかし)は詩や絵が得意だったようです。この頃は将来漫画家になるなんて思ってなかったと思いますが、幼い頃からその片鱗はあったんですね。

一方、千尋は頭が良く、そして運動もよくできたようです。まるで正反対の兄弟ですが、二人はとても仲がよかったようですね。兄がイジメられている時には、弟の千尋は「俺が兄ちゃんを守るんだ」言うくらい、弟は兄を慕っていたし、兄も弟をかわいがっていたようです。

そんな平和な日々も終わりを告げます。とうとう千尋は海軍に入隊することになるのです。

与えられた役割は、潜水艦のスクリュー音を聞き分けるというものでした。海の中ではいろいろな音がします。もちろん魚もいますし、普通の船もいる。その中から最大の敵である潜水艦が近づいていないかを察知する仕事を行うのです。魚雷は発射されたら船はほぼ100%沈んでしまいます。

しかし、千尋が乗船していた船は撃沈されるのです。千尋は船底に近い部屋にいたわけですから、魚雷を受けたらほぼ間違いなく亡くなってしまう。亡くなった詳細はわかりませんでしたが、おそらく千尋は魚雷を受けて亡くなったのだろうと推測されたわけです。

これが、嵩が大切な弟を亡くした瞬間でした。

「やなせたかし」という人物

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私自身が一番知りたかったのは、柳瀬嵩はどういう経緯であの「アンパンマン」を描くようになったのかということでした。

戦争が終わり、弟を亡くし、悲しみに暮れていた「やなせ」。

彼は意外にもサラリーマン生活から始まりました。江戸時代の三井財閥グループの元になった「越後屋」が設立したあの「三越」に就職していたのです。この時、絵が得意だったやなせは今でも残るものを作り出していました。三越の包装紙です。「mitsukoshi」の筆記体の文字は「やなせたかし」の作品だったんですね。

しかし、やなせは「漫画家になりたい」という気持ちが大きくなり、退職するのです。そして「漫画集団」という団体に入ります。

この頃の漫画界は激動の時期を迎えてました。大阪大学医学部附属病院の医師だった手塚治虫が『鉄腕アトム』『ジャングル大帝』『ブラックジャック』などを手掛け、後の漫画ブームの火付け役となったのです。

漫画を書くものの、なかなか陽の目を浴びることがないやなせは、あるテレビ番組の構成をすることになります。ここでやなせは意外なものを作り出します。あの『手のひらを太陽に』の歌詞を手掛けたのです。

手のひらを太陽に

作詞:やなせたかし 作曲:いずみたく

ぼくらはみんな 生きている
生きているから 歌うんだ
ぼくらはみんな 生きている
生きているから かなしいんだ
手のひらを太陽に すかしてみれば
まっかに流れる ぼくの血潮(ちしお)
ミミズだって オケラだって
アメンボだって
みんな みんな生きているんだ
友だちなんだ

「生きている」という歌詞が、何か柳瀬千尋ことを思って作ったのではないかと思わせられます。NHKの『みんなのうた』でも取り上げられ、これが大ヒットするのです。

このことを、やなせはあまり喜んでいないようでした。やはり彼にとって一番やりたいことは「漫画を描くこと」であって、構成作家ではないからです。手塚治虫に追い抜かれてしまったことに対して、ショックを受けているようにも思えました。

手塚治虫以降にもいろいろな漫画家は登場していきますが、やなせが描くものはなかなかヒットしない。彼はこの頃にはすでに「あんぱんまん」という漫画を描いていました。ただ、「自分の顔を食べさせる」という話が不気味だということで、編集部から却下されてしまっていたんですね。

ところがある時、変化が起きます。ある幼稚園で、この「あんぱんまん」が子供たちに大人気になっていたのです。その本は子供たちの取り合いになり、手垢で汚れているくらいでした。これに目をつけたのが日テレのプロデューサーであった武井英彦でした。彼は直感したようです。「これはきっとヒットする」と。

50歳の頃から描いていた「あんぱんまん」は「アンパンマン」とカタカナのタイトルに名前を変え、1988年にアニメ化されるのです。やなせたかしさんが69歳の時でした。

そして2013年10月、94歳で亡くなりました。同じ月に、先に書いた中嶋秀次さんも亡くなったのはとても偶然には思えませんでした。

戦争の話で思い出すのは「特攻隊」の話です。2024年の夏に、パリ五輪から帰国会見した「早田ひな」さんの言葉を思い出します。

これから何をしたいか、という質問に対し、早田さんは「アンパンマンミュージーアムと鹿児島の特攻資料館へ行きたい」と答えました。

「今、こうやって卓球ができることに感謝したい」という言葉を話していたような気がします。僕自身はこの言葉に感動したんですけど、これに対して「特攻隊を称える言葉だ」などと彼女を非難する言葉も聞かれました。

人の考え方、言葉の捉え方はそれぞれだと思うのでそこはあまり気にしませんでしたが、今、本作品を読んで思うのはむしろ「アンパンマンミュージーアム」の方です。彼女は、やなせたかしという人が何を経験して、何を生み出した人なのかを良く知っていたのではないかと思うのです。

やなせたかしさんが生み出した「アンパンマンマーチ」と「手のひらを太陽に」という2つの歌詞に共通するのは『生きる』という言葉が入っていることです。

これは想像ですが、やなせさんはアンパンマンに弟の姿をだぶらせ、ずっと平和であってほしい、戦争のない世の中になって、多くの人が平和に生きることを願ってあの歌詞を書いたのではないかと思うのです。

本作品で、いろいろな人の思いを知ることができたので、読んで良かったと思いました。
是非、読んでみてください!

この作品で考えさせられたこと

● 戦争を経験した人の平和への願いを知ることができた

● やなせたかしと、戦争で亡くした弟との関係を知ることができた

● アンパンマンがどうやって生み出されたかを知ることができた

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