もし,自分の親しい人物が何者かに殺められたら,どうするだろう。
みなさんは考えたことありますか?
何かのキッカケで考えたことはあっても,じっくり深く考えることはあまりないのではないでしょうか。そんなこと,考えたくもないですもんね。
仮にそうなってしまったとします。しかし加害者は「精神的に問題があった」ということで減刑,最悪は裁かれないってことだってあるわけです。
これまで刑法39条について扱った作品をたくさん読んできたように思います。
多くの被害者,被害者遺族がこの条文に苦しみ,怒りを感じてきたことの証でもあるのではないかと思います。本作品は,精神医学を志す一人の女性が過去に親友を失い,十数年後にその事件の真相に迫るという,とても興味深い作品になっています。
目 次
1. こんな方にオススメ
2. 登場人物
3. 本作品 3つのポイント
3.1 刑法39条とは
3.2 精神鑑定の難しさ
3.3 精神鑑定医vs 加害者
4. この作品で学べたこと
● 刑法39条のことを詳しく知りたい
● 精神鑑定医の仕事を短編を通して読んでみたい
● 精神鑑定医と加害者の対決の結末を知りたい
犯罪者の心の闇に迫る精神鑑定医。医療ミステリーの新境地! 精神鑑定の第一人者・影山司に導かれ、容疑者たちの心の闇に迫る新人医師の弓削凜。だが、彼女も心の中で重い十字架を背負っていた。 光陵医科大学附属雑司ヶ谷病院の新人医師・弓削凜は精神鑑定医を目指し、精神鑑定の第一人者と言われる影山司院長に弟子入りする。影山に導かれ、凜は統合失調症、詐病、解離性同一性障害など、様々な事件の容疑者たちの心の闇に迫る。そして凜にも、どうしても精神鑑定医にならなくてはならない秘密の事情があった。
-Booksデータベースより-
1⃣ 刑法39条とは
2⃣ 精神鑑定の難しさ
3⃣ 精神鑑定医vs 加害者
光陵医科大学附属雑司ヶ谷病院に勤める一人の新人医師が主人公です。弓削凛といいます。彼女は精神科医を目指すため,精神鑑定でも有名な影山に指導を受けていました。
弓削がなぜ精神科医を目指したか。そこには忘れられない過去があったからです。
彼女が18歳の頃,親友が包丁で刺され,亡くなってしまいます。
しかしその犯人は裁かれませんでした。精神鑑定の結果,彼女は「精神喪失者である」という鑑定を受けたからです。
つまり,刑法39条の「心神喪失および心神耗弱」に該当したのです。
刑法第39条
心神喪失者の行為は「罰しない」,心神耗弱者の行為は「その刑を減軽する」
被害者,またはその周囲の人間にとってはとても憤りを隠せない「法律」が存在することになります。
そもそも,なぜこのような法律が存在するのか。
それは「加害者に対して,刑事責任能力を問うことができない」という理由からだそうです。
ある精神鑑定専門家が、下記のようなことをおっしゃっています。
例えば,車を運転している人が,急に脳梗塞になり,人を撥ねて死亡させてしまったとします。意識も半分喪失した状態で,その運転手に責任を問えるのでしょうか
刑法39条はこれと似ているというのです。
ん~,確かに瞬間的には意識が喪失しているから,責任能力はないと言われればそんな気もしますが,でもどうしても被害者遺族の気持ちに立てば,何とも言えないですよね。
本作品では,新人医師の弓削が疑問を持ちながらも上司の影山から指導を受けます。読者の気持ち弓削という医師に,専門家の思いを影山に投影しているようです。
犯罪を犯した人物を影山が弓削とともに精神鑑定し,影山から多くのことを吸収し成長していく弓削の姿が描かれています。
精神鑑定といってもいろいろな壁があり,鑑定の行方がそのまま起訴・不起訴を左右するという,とても重い役割なのだと思います。
ストーリーの中で登場するのが,まずは精神病と言われるものの扱いの違いです。
具体的には,まず「統合性失調症」と「精神鬱」の扱いです。
統合性失調症とは
思考や行動、感情を1つの目的に沿ってまとめていく能力、すなわち統合する能力が長期間にわたって低下し、その経過中にある種の幻覚、妄想、ひどくまとまりのない行動が見られる病態である
-Wikiより-
本作品では「統合性失調症」は,その状況によっては刑法39条が適用され,起訴されない可能性があるということです。
それに対し,例えば「うつ病」などの場合は,精神的に正常な判断ができない病気ではあるが,責任能力が欠如しているとはいい難く,「心神耗弱」という状態であるらしいです。ただここで大きな落とし穴があります。
弓削が担当する患者の中でも「統合性失調症」をアピールする人物も登場します。
血液検査みたいに,各機能の状態が数値で表されればよいですが,精神鑑定というのはこれまでの知識や経験が重要になってきます。
そしてとても厄介なのは「詐病」している場合があるということです。加害者はもちろん不起訴,あるいは減刑を狙うわけですから,何かしらの意図があって詐病する可能性があることも本作品では描かれています。
そしてさらに重要なのは,その人物がいつかは社会へ出てきて再び事件を起こしてしまう可能性があるということ。
これは本当に恐ろしいことですよね。日本の再犯率は高いと聞いたことがあります。
一度犯罪を犯せば,再度起こすことは十分にありうると。
また,覚せい剤や麻薬についても多くの見解があるようです。
どちらも精神喪失につながりそうなものですが,この2つにも違いがあるようです。
麻薬の場合は「麻薬及び向精神薬取締法」という法律で管理され,医師には「届け出の義務」があります。
しかし覚せい剤の場合は「覚せい剤取締法」という法律がありますが,医師に届け出の義務はないのです。
本作品では,精神鑑定に関する多くのパターンが「短編」として描かれていますので,とても勉強になるはずです。影山と弓削のやりとりを読みながら,精神鑑定医の判断の難しさを痛感させられます。
今回は各短編の具体的な内容は書きませんでしたが,最後に弓削がかつて経験した,親友の事件について次の章で書きたいと思います。
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上司の影山の勧めで,弓削はとうとうかつて親友を殺害した人物「桜庭瑠香子」に対峙することになります。
彼女は石井和代という女性を殺害した容疑で逮捕されており,その精神鑑定を影山が受けたのです。
弓削は瑠香子の事件で親友を亡くしたことを影山には黙っていました。
瑠香子は「解離性同一性障害」を患っていました。つまり「多重人格者」だったんですね。
18の時に親友を亡くした時も,瑠香子はこの精神疾患という鑑定を受け,不起訴になっています。
弓削は鑑定に携わりながら,明らかに私情が絡んでいるように思いました。
何とか瑠香子の本性を暴きたい。
私情を挟まず,客観的な診断ができるのか。そもそも,この鑑定に弓削自身が関わっていいのか。自分の手でどうしてもその「鑑定」をしたかったのだろうと思います。
瑠香子には自分自身以外に二つの人格がありました。
一つは,弓削の親友を殺害したとされる人格である「父親である源二」,もう一つは妊娠して生まれるはずだった「絵里香」です。
瑠香子は幼い頃,源二から虐待を受けていました。さらに性的な暴行も。とても許せない父親だった源二を,瑠香子は実際に殺害したのです。
源二の人格はそれ以降確認できませんでした。何とかこの人格を引き出し,話を聞こうとしますが,人格が現れないから話のしようがないわけです。
先に登場したのは「絵里香」の人格でした。弓削はいろいろと聞き出そうとします。
母親瑠香子のこと,源二のことなどなど。
絵里香は瑠香子が性的暴行を加えられた源二の子供でした。それを知った源二が腹を蹴るなどして流産させられたのです。
気になったのは弓削が「ママと遊んだりしないの?」と質問した時。
「ママと。。。遊ぶ?。。。」
ここで絵里香はパニックになり,
「あの人に消される!」そんなことを言い放つ絵里香の人格。「あの人」とは。自分が生まれなかったのは「源二」のせいなので,源二のことなのでしょうか。
そう思いながら,いつの間にかに瑠香子の人格に戻ってしまいました。
瑠香子は「あの人のせいで私はぼろぼろになった」と言い始めます。あの人とは当然「源二」でしょう。
ここで弓削はキレてしまいます。
「あなたと知り合わなければ,美咲は死ぬことはなかった。あなたが美咲を殺したの!」その言葉を聞いた上司の影山は弓削を叱ります。そして美咲が弓削の親友であったことを隠していたこともバレ,担当を外されてしまうのです。
しかし弓削は諦めません。弓削は自分の推測を影山に伝えます。それは瑠香子に殺害された親友美咲と石井和代の共通点でした。
それは二人とも「三つ編み」にしているということです。これが源二の人格が現れた原因だったのではないかと。
弓削は彼女たちに似せるように三つ編みにし,瑠香子と向き合います。
そしてとうとう変化が現れます。源二の人格が現れたのです。彼は三つ編みの女性が好みだったようですね。
狂暴な源二の人格に立ち向かいますが,ものすごい力。男性の人格が現れただけで力も男性並みになるのでしょうか。弓削が叫ぶ声を聞いた影山たちは,瑠香子を取り押さえます。
これが瑠香子の「多重人格」であり,源二の人格が現れた理由だったんですね。
「解離性同一性障害」は間違いなさそうです。ということはやはり瑠香子は不起訴になるのか。しかし,弓削は何かしらの違和感を感じていました。
「本当に,瑠香子は裁くことができないのか?」
ここからが衝撃なんですが,実は瑠香子は「源二の人格が現れる方法」を知っていました。
つまり瑠香子は「故意」に源二の人格をあやつっていたのです。瑠香子に「責任能力」はあったということを弓削は証明します。
瑠香子自身は「右利き」なのに,源二の人格は「左利き」だったと。確かに源二は「左利き」だったようです。
これが「瑠香子に責任能力があったことを示す証拠」でした。
こうして瑠香子は起訴され,弓削は憑き物が落ちたように「重かった十字架」を下ろすのでした。
本作品は「刑法39条の壁」について,短編を通して学ぶことができる作品でした。
何が心神喪失状態で,何が心神耗弱状態なのか。
その壁に苦しむ被害者遺族の存在,そして加害者を精神鑑定する人々の存在。
冒頭でも書きましたが,読了後も「もし自分にとって大切な者を亡くしたら」ということを考えてしまいました。加害者がもし精神鑑定を受け,不起訴になったら。あるいは,心神耗弱で減刑になったら,刑務所から出所してきたら。
1907年にできた刑法。時代とともに少しずつ変化はあるものの,大きくは変わらない。
同じ事件でも,法律の壁でこんなにも状況が変わってしまうのか。
いろいろなことを考えさせられる作品でした。
● 刑法39条の壁の高さ
● 精神鑑定で扱う病状と,その鑑定の難しさ