世の中には「五体満足」で生活することができず,人の手を借り,時には機械の手を借り生活している人々がいます。
僕が勤務する学校にも,車いすで登校してくる生徒がいます。バリアフリーの充実した学校ではないので,人の手を借りないとかなり不自由である部分がたくさんあります。
ただ,学校へ登校することすらできない,それ以上に苦しんでいる人々がいるのも事実です。
先天的な疾患,あるいは後天的な事故の影響で,自分の意思で体を動かすこともできない人たちもいるということです。臓器移植を求めている人々がいます。心臓・腎臓・肝臓・肺など。現在,日本にも15,000人もの人々が臓器移植を待っています。
今こうやって健康で生きてられるのは,ある程度は健康であるからなのだと思いますが,自分がもし臓器移植が必要となったら,と考えることはほとんどないです。
自分自身が,あるいは自分の身内がもし臓器移植をすることになった場合はどうするのか。
今回の作品は,かつてプールの中で溺れ,一命は取り留めたものの意識が戻らなくなり,いわゆる植物状態となった少女とその母親,父親の話です。
本作品は,東野圭吾先生のデビュー30周年ということで送り出された渾身の一作です。
普段「脳死とは何か」や「臓器移植の難しさ」という言葉を真剣に考えたことがない僕にとっては,とても重く深く,学ばせられる作品でした。
小説というのは,登場人物に同化し,その重いテーマを真剣に考えさせてくれる一番よい教本だと思っていますが,本作品はその中のでも貴重な一冊です。
話は,宗吾という小学生が帰る途中,車いすに乗った少女を見つけるところから始まります。
目 次
1. こんな方にオススメ
2. 登場人物
3. 本作品 3つのポイント
3.1 瑞母親の「生」への執着心
3.2 薫子の献身さの違和感
3.3 臓器移植の決断
4. この作品で学べたこと
● 植物人間状態になった娘を支える母親の葛藤を知りたい
● 自分の娘の生への執着心について,薫子の行動を通して考えてみたい
● 「脳死とは何か」「臓器移植の課題は何か」を考えてみたい
「娘の小学校受験が終わったら離婚する」。そう約束していた播磨和昌と薫子に突然の悲報が届く。娘がプールで溺れた――。病院で彼等を待っていたのは、〝おそらく脳死〟という残酷な現実。一旦は受け入れた二人だったが、娘との別れの直前に翻意。医師も驚く方法で娘との生活を続けることを決意する。狂気とも言える薫子の愛に周囲は翻弄されていく。
-Booksデータベースより-
播磨薫子・・・和昌の妻で二児の母。夫との関係がよくない。
播磨和昌・・・薫子の夫。IT企業ハリマテクスの社長
播磨瑞穂・・・薫子の長女。プールでおぼれ,植物人間状態になる
播磨生人・・・薫子の長男。
星野祐也・・・ハリマテクスの社員
1⃣ 母親の「生」への執着心
2⃣ 薫子の献身さの違和感
3⃣ 臓器移植の決断
薫子の長女瑞穂は,ある日プールで溺れてしまい,植物人間状態となってしまいました。
病院に搬送されたものの,瑞穂は「脳死」状態であることと診断されるのです。
もし自分の子供がこんな状況になったらと考えてしまいました。とても苦しいと思います。きっと親は自分自身を責めてしまうのではないでしょうか。
「なぜあの時。。。」と。「脳死」と言われても完全に亡くなったわけではないし,それを認めるのもかなり苦悩しそうです。実際に薫子も同じでした。
薫子と和昌は「臓器移植」の決断をしようとしていました。
ところがその時,薫子は瑞穂の手が動く瞬間を見たのです。
「瑞穂はひょっとするといつか回復するかもしれない」
薫子の気持ちがここで一転します。助かるかもしれない。まだ臓器移植をすべきではないと。ここから薫子は瑞穂の介護をする決心をするのです。
和昌も動きます。和昌が社長をしている「ハリマテクス」というIT企業は,人体の一部として機能する装置を作っていました。
具体的には,瑞穂のためにAIを導入した人工呼吸器を装着する手術をすること。そして瑞穂の体に電気信号を流し意図したように手足を動かすことができる装置をつけることです。
人工呼吸器の力を借りずに、自発的に呼吸をするための機械を取り付ける手術を行うなど、そんな研究を行っている人がいるのでしょう。
調べてみると「人工呼吸器の自動ウィーニング」という論文が出ていました。ウィーニングとは「自発呼吸」を表すようです。
また,電気信号についても,そもそも人体は微弱な電気信号のやりとりで動いているわけですから,研究している人も世界中にいるようです。
薫子からすれば,瑞穂が自分の思い通りに動いてくれればそれほど嬉しいことはないわけです。
そして,これらの手術に成功し,瑞穂は特別支援学校へ通えるくらいになりました。ハリマテクスの星野も薫子をサポートしようと,週に何度も播磨家を訪れ,瑞穂の体を動かそうとするのです。
手術後,瑞穂の体調は徐々によくなっていきます。薫子にとってはかすかな希望の光が見えたような気がしたかもしれないですね。
必死で回復させようとする薫子は、周りの人々を巻き込みながら長女の世話をしていきます。
特にハリマテクス社員の星野は何度も播磨家を訪れ,何とか瑞穂を回復させようとするのです。
ただ,少し違和感を感じました。星野には彼女がいるのに,薫子にに憑りつかれたようにリハビリに没頭するのです。
彼は瑞穂のために支援しているのか。自分の研究の成果がほしいだけではないのか。それとも薫子のことを思ってなのか。
一つのことに集中し過ぎていて,周囲が見えていない感じなんですね。どんどんエスカレートしていく薫子と星野。確かに二人だけ突っ走っているように思えます。
それを見た薫子の夫である和昌は考えます。「薫子の行動は異常なのではないか」と。
しかも「あの脳死判定をされた日から,瑞穂の状態は全く変わっていないのではないか」とも考えるのです。確かに,薫子の視点で見ると薫子の気持ちはわかるような気がします。
しかし,視点を変えて周囲の人間の気持ちになってみると,やはり違和感を感じるのです。
薫子の周囲の人間からするとそれは迷惑な話なのかも知れません。回復するかどうかわからない人間の世話を第三者が続けられるとはどうしても思えないんですね。
しかし,ここから意外な方向へ話は進んでいきます。なにやら不穏な空気が播磨家に漂うになっていくのです。
長男の生人だけでなく,その周囲の友達は「瑞穂は生きてはいない」ということにしていたようです。
そして決定的な出来事が起きます。
薫子は「生人の誕生会」を企画していました。瑞穂の従妹である若葉や薫子の妹の美晴,お夫の和昌や星野,そして生人にも友達を呼ぶように言っていました。
ところが呼んでいたはずの生人の友達が現れません。実は生人が本当は呼んでいないことがわかるのです。
「死んだも同然である瑞穂をみんなに紹介されるのが嫌だった」というのことが生人の言い分でした。これが薫子の逆鱗に触れ,薫子は生人の頬をはたいてしまいます。瑞穂への介護が,電気信号を使って瑞穂をあやつり人形みたいに動かしているというふうにでも見えたのでしょうか。
薫子と和昌,薫子と生人,薫子と彼女の妹との関係がギクシャクしてしまいました。
何か薫子だけが一人,狂気の人間のようでした。
そんな薫子はとうとう思ってもない行動を取るのです。
※ネタバレを含みますので,見たい方だけクリックしてください!
👈クリックするとネタバレ表示
薫子は「夫の和昌が包丁を持って振り回している」と警察に通報するのです。しかし,実際に包丁を持っているのは薫子でした。
「もし私が瑞穂を殺したら,それは殺人罪が適用されるのか」
彼女は周囲に問おうとしていたのでしょう。生きてもいない人間を刺してもそれは殺人にはならないはずだと。
正直「そう考えるのか。。。」と思いました。
薫子は「瑞穂が生きているということを信じる人間がたった一人になったとしても,瑞穂の死を決して認めたくない」と思ったのではないかと思います。
明らかに沈黙する周囲の人間。誰も何も言えなかったのです。周囲の人々も,ここで薫子の本当の心理を理解したような気がしました。
その時でした。若葉が重大な告白をします。「瑞穂が亡くなった原因はわたしなんだ」と。
瑞穂が溺れたのは,妹の若葉がプールに落とした指輪をとろうとしたことが原因だったということが判明します。プールの底の溝に手を引き込まれてしまい,溺れてしまった瑞穂。放心状態になる薫子。
薫子は瑞穂が何で亡くなったのかがわからなく,それがわかるまでは瑞穂の死を認めたくないと思っていたように思います。
何も言えなくなった薫子は,若葉を許すのです。何か憑き物が落ちたような薫子。
そしてクライマックス。
瑞穂の容態が急変します。そして薫子は決意するのです。
「臓器移植に同意します」
苦渋の決断だったと思います。薫子と瑞穂は,限りなく細い糸で結ばれていたような気がしていました。何かその糸が切れたような気がしました。
それは「瑞穂の死を認めた瞬間」だったように思います。本当に切なかったです。
容体が急変した瑞穂はついに「永遠の眠り」につくのでした。
そして後日,瑞穂の臓器は無事にある少年に移植されました。その少年こそ,冒頭に書いた少年だったのでした。ここまで書けばわかりますよね。
臓器の提供というのは世間的にも美談にも思えますが、提供する側からすれば本人の意思の確認なしでそれを行う決断というのはどうしても躊躇してしまうのだろうと思います。
結局、世の中には色々な価値観を持つ人間の存在、その時の状況、多くのことが絡んでくるのだとも思います。
確かに薫子の行動は自分本位だったのかもしれません。でもそれは責められるものでもないでしょう。
みんな、薫子の心理と同じ状況にならないと理解できないことってあると思うから。
今回の話で考えさせられたのは「人間の死とは何か」そして「臓器移植」についての2つ。
人間の死というのは心臓の動きが停止することだと何となく考えていました。
しかし、臓器移植の制度が導入された現在、人間の死とは「脳死」も考慮しなければならないということなんですね。
心臓が動いているのに、脳の活動が停止したことでそれを「死」と定義してよいものなのだろうかという議論は本当に難しいと思います。
「脳死」とは,脳全体の機能が失われた状態をいい,その脳死の定義も国によって微妙に異なるようです。
例えば,欧米のほとんどでは大脳・小脳・脳幹の全てが停止した場合を脳死とするのに対し,イギリスは脳幹のみの停止を脳死というそうです。
また「臓器移植」については,アメリカでは一年間に12000人もの人が脳死後に臓器提供し,臓器移植自体は年間30000件に上ります。
日本ではこの20年間でようやく5000件を超えたに過ぎず,日本はアメリカ・ヨーロッパと比較しても脳死の考え方や臓器移植については進んでいないことがわかります。
進んでいないというより,そこはそれぞれの国や人々によって考え方は違うわけですから,難しい問題だと思います。
もし,担当医師に「もう元には戻らない」と宣告されたとしても、それを受け入れるのはとても難しいですよね。やはり「自分の親族がそうなってしまったら」と考えてしまいます。
何度考えても,こればかりはイメージできない。その時になってみないとわかりません。
読者の視点も大事にしながら,両親やその周囲の人間の思いを細かく描いた今回の話を作り上げた東野先生に感服しました。
人間に必ず訪れる「死」というものの定義。それは永遠のテーマなんだと思います。
● 瑞穂に対する薫子の葛藤,周囲の人々の心情を知ることを小説を通して知ることができた
● 「脳死とは」「臓器移植の課題」について深く考えることができた
● もし自分の子供に同じことが起きたらどういう行動をするのかを考えさせられた