高齢化社会になり,介護業界で仕事をする人も増えてきています。介護業界の市場規模を見てもそれは顕著に表れています。
2010年には約8兆円円だった市場規模が,2025年には倍以上になる勢いを見せています。40歳になれば,健康保険に重ね,介護保険料も納めなくてはならなくなりましたよね。
居住型の介護施設もどんどんでき始め,訪問介護をする業者も増えてきました。
自分の親も年齢を重ね,病気が増え,介護という言葉が他人事ではないと感じています。
親の介護するのが大変だというのは想像はできますが,もし親が認知症になってしまったら,その負担はさらに加速するでしょう。
しかし,介護の負担が人の人生を狂わせてしまうという事件も起こっています。
介護施設で老人が相次いで死亡したり,大ケガをしたり,2017年には岐阜県高山市の介護施設の元職員に懲役12年の判決が出ています。その部分だけを見れば「なんてひどいことをするんだ」って思います。確かに事故を主張するとは言え,結果的には殺人となんら変わりはないわけですから。
しかしその一方で介護職員の気持ちはどうなのでしょうか。一生懸命介護をしてあげているのに,自分の思い通りにならずに,つい手を挙げてしまったりすることもあるのでしょうか。
この作品は,そんな介護をする人の気持ちを知ることができる作品だと思います。
目 次
1. こんな方にオススメ
2. 登場人物
3. 本作品 3つのポイント
3.1 介護する者の思い
3.2 ロスト・ケアとは
3.3 真犯人の真の動機
4. この作品で学べたこと
● 介護業界に潜む問題を知りたい
● 犯罪者に感謝する被害者遺族の真意を知りたい
● 真犯人の真の動機を知りたい
戦後犯罪史に残る凶悪犯に降された死刑判決。その報を知ったとき、正義を信じる検察官・大友の耳の奧に響く痛ましい叫び――悔い改めろ! 介護現場に溢れる悲鳴、社会システムがもたらす歪み、善悪の意味……。現代を生きる誰しもが逃れられないテーマに、圧倒的リアリティと緻密な構成力で迫る! 全選考委員絶賛のもと放たれた、日本ミステリー文学大賞新人賞受賞作。
-Booksデータベースより-
1⃣ 介護する者の思い
2⃣ ロスト・ケアとは
3⃣ 真犯人の真の動機
本作品の冒頭で,ある男性が法廷で死刑判決を受けます。この男の犯罪は,43人もの人間を殺害し,戦後犯罪史に残る凶悪なものでした。
なぜこの男がそれだけ多くの人間を殺害したのか,そしてその裁判の傍聴席に座る女性が,なぜこの男に感謝しているのか。ここがこの作品のポイントの一つです。
その女性は羽田洋子といい,夫と離婚し,子供とともに実家へ戻ってきていました。
母親が階段から落ちてしまい複雑骨折してから生活が一変します。
夫のDVに耐えた洋子は母親との絆を胸に介護をすることを決心します。
しかしさらに状況が悪化します。母親が認知症になったのです。母親が夜に徘徊したり,自分の娘を「あんた誰?」のようなことを言われ続け,洋子の気持ちも一変していくのです。「早く死ねばいいのに」と。
介護をしているとこのような気持ちになるのでしょうか。そのくらい介護というのは厳しい世界なのかなと思います。
ある日,洋子は暴れる母親をベッドにくくりつけ,外出します。しかし戻ってみると亡くなっていたのです。一体なぜなのか。
実はその命を奪ったのが真犯人である斯波(じば)宗典でした。彼は介護施設の職員で,訪問介護をしていました。その時に預かっている鍵のスペアを作り,夜中に忍び込んでニコチン液を注射して殺害しました。43人もの老人を殺害したのです。
斯波はその際に家に盗聴器を仕込んでいました。そして,介護に苦しんでいる人間の家に忍び込んでいたのです。
つまり斯波は殺害する人間を完全に選んでいたということです。
ところが,証拠も残らず,警察は加齢による自然死とみなしてしまい,何十人もの老人が殺害されているにも関わらず,見落とされていたというわけなんです。
この事件の捜査をしたのは警察ですが,疑問を持ったのは検察官の大友秀樹です。
彼には優秀な検察事務官がいて,様々な統計角度から状況を洗い出そうとします。
死亡のために介護施設と契約解除した件数の多いケアセンター,死亡した老人の要介護度,そして死亡した日と時間帯,それらを分析して,ようやく一人の人間にたどり着くのです。それが先に書いた斯波宗典でした。
大友は取調室で彼を問い詰めます。しかし斯波はあっさりと認めてしまうのです。殺害した人間や殺害日が書かれた日誌のようなものまで大友に渡してしまうのです。なぜこんなにあっさりと罪を認めるのか。何か彼自身の何かしらの意図を感じます。しかしそれが何かはわかりません。
斯波は告白します。彼は以前,認知症の父親を介護していたのです。そしてその父親を殺害してしまいました。
大友は正義感の旺盛な検察官ですから,どんな理由があろうとも犯罪は犯罪であると。
しかし斯波は「自分は介護に苦しんでいる人々を救ったのだ」と平然と言います。
つまりこれが「ロスト・ケア」の意味でした。
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いかなる理由があろうとも法的な犯罪を許さない検察官の大友と,全ての罪を認めながらも,自分は多くの介護に関わっている人を救ったと訴える斯波の攻防は平行線です。
大友は斯波の本当の殺害動機は別のところにあるのではないかと疑います。
斯波は最後に話し出します。
彼の父親は認知症でしたが,ある時父親は彼に言います。
自分は体だけではなく,頭もおかしくなっている。だから今のうちに殺してくれと。認知症になりながらも,自分の息子にこれ以上苦労させたくないと思っていたのでしょうか。この時の斯波の気持ちは,おそらく彼にしかわからないものでしょう。
ひょっとすると,介護に関わって,この斯波や洋子のような境遇にいる人にはわかるのだろうか。
彼は大友に「自分がかつてしてほしかったことを,自分がしたのだ」と言うのです。
以前読んだ小説の中にも「尊厳死」や「安楽死」という言葉を目にしました。
終末期医療の話だから,南杏子の作品だったかな。「サイレント・ブレス」とか。
安楽死を認めている国はあります。スイス,オランダ,ベルギーは認めています。
しかし日本は違います。これは「殺人」であるということです。
逆に「尊厳死」つまり,積極的なケアをせず,延命治療もせずにそのままにして自然に亡くなるのを待つのは法律違反ではありません。
この議論はすぐには解決しないと思います。世界は「安楽死法」を立法しようとしているのに対し,日本はそれを認めていないわけですから。
だから大友も斯波がやったことを許すことはできないのです。そして真の動機に気づくのです。
斯波は死刑になることなどわかっていました。罪を逃れる意思など最初からありません。
彼の真意は,自分の事件が公になることで,介護で苦しんでいる人たちを助けるということ。
つまり,安楽死を認めさせる流れにするため,哀しき犯罪者になることが最大の目的だったのです。
体が不自由になったり,認知症になったりした人を救う介護という仕事。しかしその介護をする人を救う法律が必要になっているということを訴えた犯罪者。
今の日本の現状を鑑みて,時代に合わせた法律へ変えるべきことを訴える作品だったのではないでしょうか。
● 介護業界だけでなく,在宅介護などの過酷さが伝わった
● 人間の生死に関わる現在の仕組みに物申す真犯人の真意に驚いた