みなさんは,かつてあのスティーブ・ジョブズが憧れた,そしてあの孫正義が師と仰いだ「佐々木正」という人物がいたことをご存じでしょうか。
日本の半導体事業の発展に関わり,多くの企業を救った伝説のエンジニアです。
目次
1. こんな方にオススメ
2. 本作品 3つのポイント
2.1 ポケットサイズの電卓戦争
2.2 佐々木とスティーブ・ジョブズ
2.3 佐々木正の真のすごさ
3. この作品で学べたこと
● 佐々木さんの生い立ちを知りたい
● 世界の「電卓戦争」とはどういうものだったかを知りたい
● 佐々木さんのことを,なぜスティーブ・ジョブズや孫正義さんが慕うのかを知りたい
敗戦から高度成長期にかけて、デジタル産業の黎明期に、常に世界の最先端を突っ走ったスーパー・サラリーマンがいた。シャープの技術トップとして、トランジスタからLSI、液晶パネルと当時のハイテクを導入して苛烈な「電卓戦争」を勝ち抜き、電子立国・日本の礎を築いた佐々木正。インテル創業者が頼り、ジョブズが憧れ、孫正義を見出し、サムスンを救った「伝説の技術者」の痛快評伝。
-Booksデータベースより-
佐々木正さんは,1915年島根県生まれで,工学博士です。
戦前から無線など,多くの技術を創り出しました。
太平洋戦争中はドイツへ飛ばされ,「ウルツラウス」という地上設置型の対空レーダーの技術を習得します。
戦後は,それらの技術を携え,早川電気工業(かつてのシャープ)で勤務することになります。そんな佐々木さんがどんなものを創り出し,スティーブ・ジョブズや孫正義が彼の何に魅かれたのかがわかる作品です。
1⃣ ポケットサイズの電卓戦争
2⃣ 佐々木とスティーブ・ジョブズ
3⃣ 佐々木正の真のすごさ
シャープといえば液晶ですけど,元々は電卓で世に名をはせた企業です。
佐々木さんはその開発に大きく貢献しています。
今でこそ電卓というのは当然ポケットに入るくらいのものですが,1960年代というのは世界で「電卓戦争」が起こっていた時代でした。
電卓といっても現在のデスクトップ以上の大きさで,30kgくらいの重さがあり,価格も50万円台と,本当にパソコンを買う以上のものだったわけです。
電卓といえば「カシオ」も思い出します。
ここからこの「シャープ vs カシオ」という電卓競争が始まるのです。
「こんな高くてデカい電卓を誰が買うのか,もっと小さくて安い電卓を開発しろ!」と。ここで佐々木さんは開発者たちに「ポケットサイズ」を要求するのです。そしてとうとう1970年代後半に重さ65グラム,価格が8500円の電卓を販売し,世界を驚かせるのです。
この作品の中では成功談が多く描かれてますけど,その裏ではきっとそれ以上に多くの失敗もあったのだろうと思います。
エジソンの言葉を思い出します。
「私は失敗したことがない。ただ、1万通りのうまくいかない方法を発見しただけだ」
一日16時間を研究に費やしたエジソンの言葉には説得力がありますが,佐々木さんも常に新しい技術を生み出すことにそれはそれは膨大な時間をかけたことでしょう。
佐々木さんも「天才」と言われていましたが,実は決して妥協をしない「努力の人」だったのだと思います。
佐々木さんの元に,ある一人のアメリカ人がやってきます。
その人物は,長髪にヒゲを生やし,サンダルを履いてやってきたのです。
そう,あの「スティーブ・ジョブズ」です。
彼は佐々木さんにアドバイスを求めてやってきたのです。
それを聞いただけでも佐々木さんのすごさが世界に知れ渡っていたことがわかりますね。
ジョブズは佐々木さんに「自分は音楽がしたい」と言います。
つまり,あの「iPod」はここがスタートだったわけです。佐々木の指示で,ジョブズはSONYの社長である「大賀曲雄」を訪ねることになります。
そうです。SONYが世界に誇る携帯用音楽プレーヤー「ウォークマン」の開発に携わった人です。
それからだいぶ後にはなりますが,アップル社は2001年に「iPod」を発表するわけです。ライバルにもなりかねないとわかっていても,困っている人がいれば素直に手を貸すのが佐々木さんのすごいところです。
それだけではありません。
佐々木さんは後にジョブズに「ビルゲイツとうまくやっていってほしい」ということを伝えます。
ビルゲイツのMicrosoft社は今でこそ「Windows」で大きな市場を築いていますが,かつては「MS-DOS」という,文字だけでパソコンを操作するものでした。
それに対し,ジョブズのアップル社はマウスを使って画面を操作することができる「Macintosh」で,使う人に使いやすいパソコンを世に送り出していました。
その二社の競争にアドバイスを送ったのも佐々木さんでした。それぞれの技術を自分たちで独占せずにお互いで有効活用するという方向性へ導いたのです。確かに現在のソフトは,Windows版もあればMac版も両方存在する。
スマートフォンが発達した現在でも,iPhone版もあればAndroid版もある。
「競争ではなく共創である」と。
ひょっとしたら,佐々木さんがいなければスマートフォンという便利なものは生まれていなかったかもしれません。
1980年代にポケットサイズの電卓を開発した佐々木さんはその時すでに言っているのです。
「これが未来のパソコンになる」と。
「佐々木さんがいなければ,ソフトバンクを立ち上げることはできなかったかもしれない。私の恩人である」
と言うあの孫正義さんの言葉には正直驚きました。一体どれだけの人にアドバイスを送ってきたのでしょうか。
佐々木さんは本当にすごい人だったんですね。
孫正義さんは元々カリフォルニア大学に在籍し,そこで「音声機能付き電子翻訳機(ザウルス)」を開発し,シャープにいる佐々木さんの元へやってきます。
ここで佐々木さんは「この男はただ者ではない」と感じ,開発用に2000万円の資金を提供します。
そして銀行からも約1億円もの融資を受けようとした孫正義は,最後の最後に佐々木さんの名前を出して,融資を引き出します。
これが孫正義さんが佐々木さんを「恩人」と言わしめる理由です。
佐々木さんのすごいところは,多くの技術を開発し,多くの製品を生み出したことではあると思うのですが,読みながら思うのはまずは「決断力とスピード」です。
新しいものを生み出すときの決断力とスピードが恐ろしく速い。
佐々木さんは「自分が責任を取るから」と多くの製品を作らせてきました。
電子翻訳機「ザウルス」など,今思えばシャープが作った多くの製品には,やはり佐々木さんが関わっていたのです。
数々の競争にも勝ってきたのはここにあると思うし,日本を経済大国にのし上げた一つもこの部分にあると思います。そして,それ以上にすごいと思うのは「利他的である」ということです。
韓国の「サムスン」は,半導体事業で大きな功績を上げました。
しかし,その裏には佐々木さんがいました。
周囲は「佐々木はサムスンに技術を売った国賊である」と罵られながらも佐々木さんは飄々としていたようです。。
ライバルに負けたくない,という時代もあったと思いますが,スティーブ・ジョブズのために,ビルゲイツのために,孫正義のために,そしてサムスンのために行動したのです。
「技術者は会社のために働くのではない。国のためでもない。人類の進歩のために働くのだ」
という佐々木さんの言葉がすべてを物語っています。
「競争ではなく,共創」
彼はその信念を持って行動していたことと考えれば,腑に落ちるのです。佐々木さんは,2018年に102歳でお亡くなりになっています。
● 佐々木正さんは,シャープの電卓開発に大きく貢献した
● 佐々木さんは,購入しやすい価格を決め,そのための技術の向上,小型化に徹底的にこだわる方である
● 佐々木さんは,例えいつか自分のライバルになろうとも,困っている人・企業があれば「利他的に」アドバイスをした方である。競争ではなく,共創
こんな桁違いの利他的な佐々木正という日本人がいたことを,日本は誇りにするべきではないかなと思います。