「フェルマーの最終定理」とは,かつて「ピエール・ド・フェルマー」というフランスの数学者が証明したと言われる定理です。
1600年代に生まれたフェルマーがこの定理が成り立つことを証明しましたが,その証明をフェルマー自身が紙の余白に書いたり,かなり省略していたため,しっかりと残されていませんでした。
だからこそ「この定理を絶対に自分が証明するんだ」と多くの数学者が証明しようとチャレンジするわけです。
見た目がとてもシンプルな式。しかし解くのはとても難解だったわけです。
解けそうで解けないこの難解な定理に数学者は悩まされ,長年謎の定理として残されてきたわけです。
それが1995年,ある数学者が完全な証明を公開しました。
フェルマーが定理を仮定してから約360年もの長い年月が経ってしまっていました。
この本で学ぶことができることについて,いろいろと考えていこうと思います。
目 次
1. こんな方にオススメ
2. 登場人物
3. 本作品 3つのポイント
3.1 結果を出されなければならない
3.2 決して彼一人の力の賜物ではない
3.3 伝説のスピーチ
4. この作品で学べたこと
● フェルマーの最終定理を解いたのは誰なのか知りたい
● 360年という年月には一体どんな意味があったのか考えたい
17世紀、ひとりの数学者が謎に満ちた言葉を残した。「私はこの命題の真に驚くべき証明をもっているが、余白が狭すぎるのでここに記すことはできない」以後、あまりにも有名になったこの数学界最大の超難問「フェルマーの最終定理」への挑戦が始まったが――。天才数学者ワイルズの完全証明に至る波乱のドラマを軸に、3世紀に及ぶ数学者たちの苦闘を描く、感動の数学ノンフィクション!
-Booksデータベースより-
1⃣ 結果を出されなければならない
2⃣ 決して彼一人の力の賜物ではない
3⃣ 伝説のスピーチ
かつて「古畑任三郎」というドラマの中で,この定理をファルコンの定理として登場したことがあります。
この定理を「誰が最初に解いたかということがきっかけで殺人事件が起こってしまった」という回がありました。(犯人役は,陣内孝則さん)
つまりフェルマーの最終定理はそれだけの価値があるものだったのだと思います。
フェルマーの最終定理とは,形的にはピタゴラスの定理(三平方の定理)に似たもので,「方程式の解が存在しないことを証明したもの」です。
ピタゴラスの定理は誰もが習ったことがある,直角三角形であることを導き出してくれるものですよね。
しかし,存在しないことを証明するというのは,かなり骨の折れる作業ではないでしょうか。
ピタゴラスの定理には「解」は存在しますけど,今回の定理は「ないことを証明」しなければならないわけです。
具体的に,フェルマーの最終定理とは,
3以上の自然数 n において,Xのn乗とYのn乗の和が,Zのn乗と等しくなるための X, Y, Z の組み合わせは存在しない
というものです。
「この人が犯人であることを証明する」というのは物的証拠があれば比較的時間がかからないイメージですが,「この人が犯人でないことを証明しなさい」と言われてもどうするのが適切かすぐには思いつかない。
別の人が犯人であることを証明すればいいということでしょうか。そんな感覚に近いかなと思います。
「ないことを証明する」というのはいずれにしても困難に映りますよね。
歴史的にも,多くの数学者が存在し,多くの定理を作り出しています。
きっとこの定理を解くために人生を棒に振ってしまった学者もいることでしょう。
なんせ,360年ですから。世界中で研究を続け,悩んで,悩んで,そして証明できたと思ったら,実はミスがあったり,とても大変な仕事だったと思います。
あまりにも思い悩んで自殺してしまう数学者も結構多かったと聞きます。
自分の研究が学会で認められ,そして有名になる。そんな夢を抱きながら,ひたすら自分の机に向かい合い,そして時には気分転換をしたり,時には壁にぶつかりながら生きていく。
誰も登頂したことのない山に登るようなものなのかもしれません。だからその頂を目指す。結局,結果を出さなければならない仕事なのだと思います。
多くの仕事でも結果が求められることはあると思います。
営業であれば月に何件契約を取らないといけないとか,学校であれば入学者を増やさないといけない,あるプロジェクトを完成させるために試行錯誤しながら完成を目指さないといけない。
どんな仕事にも結果ははつきものだと思います。
しかし数学者にとっては,その証明が彼らの人生そのものなので,そのプレッシャーは計り知れないものだと想像つきます。命をかけて取り組んだ目標があるのに,数学者に向いてないと思って,すぐに他の研究へ転換できるとはどうしても思えないですから。
アンドリュー・ワイルズは,決して自分一人の力で証明を解いたわけではないのだということです。その証拠に,彼は多くの人が証明した定理や予想を利用して証明に至っています。
ボイルとかシャルル,ジュール,物理を学んだ経験がある方はおそらく知っている名前でしょう。
フェルマーも多くの研究者の解法や定理を参考にしたことでしょう。
ここで一つ重要なことがあります。ワイルズが参考にした研究者の中に,日本人がいることを忘れてはならないです。
谷山豊と志村五郎という日本人数学者です。それぞれは別々の研究をしていましたが,共同で「谷山-志村予想」というものを考え出しました。モジュラー性定理とも呼ばれているようです。
この二人は長年の研究で,ある予想を立てます。これはあくまで「予想」であるので,証明したわけではありませんでした。
しかし,ワイルズは気づくのです。長年悩みぬいた結果,
「谷山-志村予想」を証明できれば,フェルマーの定理をといたことになる!
という結論に至ったのです。
あくまでも例ですが,ある男が殺人犯として訴えられていて,それが冤罪であるということを証明するためには,ナイフに指紋がないことを証明すればよい,といったところでしょうか。
イメージ的にはそんなところかなと思います。
360年もの間,多くの数学者が苦しみながらも多くの定理や予想を残してくれました。
それらがなければ,きっとワイルズでさえも解くことはできなかったのではないかと思います。今の自分があること。それは多くの人に支えられているからこそ成り立っているもので,それはワイルズや数学者にとっても例外ではないのかなと思っています。
プリンストン大学にいたワイルズは,ケンブリッジ大学で集中講義をすることになります。そこで噂になるのです。
「ワイルズはひょっとして,フェルマーの最終定理を解いたのではないか」
そこには多くの学生や関係者が集まってきました。3日間かけて行った集中講義は,谷山―志村という日本人が予想した定理を証明しました。
そして,
「これがフェルマーの最終定理の証明です」と結び,多くの関係者を驚かせたといいます。
そのスピーチをしているときのワイルズの心境はどうだったのでしょうか。
苦しんで苦しんで,ようやく証明できたわけです。
スピーチをするときの彼の興奮が伝わってきそうですよね。
大衆が彼に注目し,360年間誰も成し遂げなれなかったことをやってのけたのですから,それはワイルズにとっては一生忘れることのできない集中講義であったことは想像つきます。
まさに伝説の集中講義です。
自分が目指していることが実を結ぶことって嬉しいことだと思いますけど,あまりにも高すぎる目標を前にしたら,僕自身だったら諦めてしまいそうです。
でもなぜワイルズは辿り着けたのだろうかと思うわけです。
そこにはこれまで多くの数学者が解けそうで解けなかった苦悩,多くの数学者が残した定理,周囲の人々のサポートなど,いろいろな要素があったと思います。
そして,証明するのだという強い気持ち。
答えがあるかもしれない,でも進んでみたらないかもしれない。
1998年,ワイルズは数学界の最高栄誉でもある「フィールズ賞」の特別賞を受賞しています。特別賞になってしまったのは,フィールズ賞自体が40歳以下という年齢制限があったからですが,やはりその功績は大きいと評価されたのでしょう。
そんな道を歩んだ行動力,彼の勇気とその姿に感服し,敬意を表したいと思います。
● 360年もの壁に立ち向かった数学者たちの苦悩
● 決して一人の力で成功したわけではないことを知った
● 証明には実は日本人も関わっていたこと