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【サイレント・ブレス】南杏子|終末期医療を知る

人生には終わりがあります。

僕の両親は幸い健在ですが,やはり衰えを隠せなくなってきています。

そんな終末期医療について考えている時に出会ったのがこの「サイレント・ブレス」でした。

こんな方にオススメ

● 自分の親が年齢を重ねてきたので,終末期医療に興味がある

● 医者が,患者にどう向き合っていくのかを知りたい

● 終末期を迎える患者にとって,一番何が大切なのかを知りたい

作品概要

大学病院の総合診療科から、「むさし訪問クリニック」への“左遷”を命じられた37歳の水戸倫子。そこは、在宅で「最期」を迎える患者専門の訪問診療クリニックだった。命を助けるために医師になった倫子は、そこで様々な患者と出会い、治らない、死を待つだけの患者と向き合うことの無力感に苛まれる。
-Booksデータベースより-



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この作品の作者は「南杏子」さんです。

南杏子さんの経歴

1956年生まれ 東海大学医学部卒業

大学を出て出版社に勤務していましたが,一念発起「医者」を目指す

大学病院老年内科,そして最後は終末期医療専門病院で勤務するという,現役の医師

2016年に「サイレント・ブレス」で作家デビュー

代表作

「サイレント・ブレス」「ディア・ペイシェント」「いのちの停車場」など

これまで多くの患者の最期を見届けてきた現役医師が描いたものですので,その中に出てくる言葉にはとても重みがあります。

終末期の介護この作品を読んで思うのは,自分の親が大きな病気になって回復の見込みがない場合に,自分自身がどんなことを考え,どんな行動を起こすのかということです。

僕がまだ若い頃に母親の首に腫瘍ができ,母は入院することになりました。

ひょっとしたら癌かもしれない。その確率はゼロではないことを医者から伝えられました。

幸いその腫瘍は良性だったのですが,その時に初めて親のありがたさを痛感したことを覚えています。

あれから30年が経ち,いよいよ自分の親も年齢を重ね,終わりを意識しなければいけないなと思うようになってきました。

最期を目の前にして,自分自身は両親たちとどう接するのか。

どんな声をかけてあげればよいのか。

とても他人事とは思えない,考えさせられる作品です。

本作品 3つのポイント

1⃣ サイレント・ブレス

2⃣ 医師の向き合い方

3⃣ 終末期をどう迎えるか

サイレント・ブレス

終末期医療」とは病気や老衰などで命がわずかである患者に対し,残りの人生を充実したものにしようとする医療のことです。

穏やかに人生の終わりを迎えようとするこの医療のことを「サイレント・ブレス」という言葉で置き換えています。

僕は,終末期医療というものをこの作品を読むまで認識が誤ってました。

死ぬ前にどう治療するか,ということだけではなく,残された人生をどういう形で過ごすかというものを具体的に計画を立て,それに従っていくというものであることです。

終末期の「ライフデザインノート」のようなものを作成することがあるということも初めて知りました。

まさに人生の終わりへ向かっていく道しるべのようなものを考えるというわけです。

ライフデザインノートこの作品を読むにあたり,自分の親が同じような状況になった場合,自分自身はどうするだろうか,何を考えるだろうか,いろいろ考えさせられました。

主人公は水戸倫子(りんこ)という女医です。

彼女は大学病院に勤務していましたが,ある日突然「むさし訪問クリニック」へ院長として派遣されることになります。

そこで勤務する看護師のコースケと共に終末期医療に携わることになるわけです。

医師の向き合い方

医者が向かい合うのは患者そして家族・親族がほとんどです。

死を目前にした患者の気持ちはどうなのでしょうか。

自分が病気になるとは思わなかったとか,死にたくない,なぜ自分だけなのかとか,もっとやりたいことやっておけばよかったなとか。

人によっていろいろなことを思いめぐらすのだろうと思います。

そんな患者たちにどのように接してあげるのか。

まだ意識があればいいですが,認知症を患っている人に計画を立てろと言われても難しいだろうと思います。

主人公の水戸が苦悩する姿がうかがえます。

苦悩する医師また,家族に対しても苦悩は絶えません。

今回の作品のように,患者と一生懸命終末期へ向かって考えた計画を,家族が急に入ってきてせっかくの計画が台無しになってしまうこともあるようです。

その理由はさまざまです。

● これまで何もしてあげられなかったその償いのために,最後はしっかり見届けたい

● 遺産が絡んできて,自分にもその権利があると相続のために急に割り込んでくる

気持ちはわからなくもないですけど,都合のいい理由で近づいてくるという印象があって,なんか嫌ですね。

それが死を目の前にした人にとって,果たして幸せなことなのか。

それはその本人にしかわからないことなのでしょう。

終末期をどう迎えるか

※ネタバレを含みますので,見たくない方はクリックしないでください!

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最期をどう迎えるかは,患者自身の希望を最優先しなければならない

この作品はそう訴えているような気がします。

自分が死を間近にしたとき,どう生きたいかなんてそれぞれ価値観が違うでしょう。

一人で死にたいという人もいれば,近くに家族が寄り添っていてほしいと思う人もいるかもしれない。

家族の寄り添い食事をする力がなくなれば,胃ろう(胃に小さな穴を開け,管から流動食を入れる)をしてまでも生かせたいと家族は思うかもしれない。

確かに僕も親には少しでも長く生きていてもらいたい。

その時になってみないとわかりませんが,僕も同じ選択をするかもしれない。

患者の視点では,患者の視点で考えたらどうなのでしょうか

抗がん剤投与で苦しい,末期癌で体に激痛が走る,そんな苦しい,痛い思いをしてまで生きようと思えるのでしょうか。

もし自分の命があと幾ばくも無い状態だったら,体に穴をあけてまで長生きしたいと思うだろうか。

その時の患者自身でなければわからないことってあるような気がします。

患者の意思を優先したサポートその人の最期は,その人の人生の一部だから,どう生きるかという権利はその人が決めるべきであるという前提で考えれば,どう死ぬかというのも患者の気持ちを最優先するべきなのではないかと思います。

しかし,その意思すらも示せなければどうすればよいのか。

とても悩ましいところではあります。

医師としてはとても判断の難しい部分ではあると思いますし,どう考えるかは賛否両論あるような気がします。

医者が親族に対してどう説明するのか,その苦悩が感じられました。

残される親族も悩む,そして患者と向き合っている医者も悩む。

医師と親族がよく話し合い,よく考えて最良と思う方法を導き出した方がいいような気がします。

この作品で考えさせられたこと

● 自分の親に長く生きてもらいたいから延命措置を施すというのが家族の気持ちである

● しかし,患者の人生は患者のものであるので,一番大事なのは患者自身意思なのではないか。

● 患者がどういう最期を迎えるか,医師と親族はよく話し合って決めるべき

この作品では,命ある限り医師は延命措置を取るべきであると考えるのも正しいが,そうではない選択もあると言っているような気がします。

永遠のテーマのような気がします。

本当に考えさせられる作品なので,是非,手に取って読んでほしい作品です!

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