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【クライマーズ・ハイ】横山秀夫|日航機事故と記者の使命

クライマーズ・ハイ

1985年8月12日

JAL123便が群馬県、長野県境の山中に墜落しました。

いわゆる「日航機墜落事故」あの時のニュース映像をよく覚えています。

この作品は,この事故の原因ではなく,それを報道する新聞社の視点で描かれています。

こんな方にオススメ

● 日航機墜落事故について知りたい

● 新聞社の人々が,この未曽有の事故でどういう行動をし,どういう報道をしたかを知りたい

● 今回の事故において,マスコミが一番伝えるべきことは何だったのか知りたい

作品概要

1985年、御巣鷹山で日航機が墜落。その日、北関東新聞の古参記者・悠木は同僚の元クライマー・安西に誘われ、谷川岳に屹立する衝立岩に挑むはずだった。未曾有の事故。全権デスクを命じられ、約束を違えた悠木だが、ひとり出発したはずの安西はなぜか山と無関係の歓楽街で倒れ、意識が戻らない。「下りるために登るんさ」という謎の言葉を残して――。若き日、新聞記者として現場を取材した著者みずからの実体験を昇華しきった、感動あふれる壮大な長編小説。
-Booksデータベースより-




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作者は「横山秀夫」さんです。同じ作家のあの「柚木裕子」さんが尊敬される作家です。すごい方なんですね。

横山秀夫さんの紹介

1957年生まれ 東京国際大学商学部卒業

新聞社に入社し,12年間勤務

1991年に「ルパンの消息」で受賞し,フリーライターとして活躍

主な受賞歴

松本清張賞(陰の季節)・日本推理作家大賞(動機)

経歴を見ると,新聞社での勤務経験を生かして,この作品を描かれたのでしょうか。

僕の家にはちょうどその日,お盆休みで関西から親戚が来てました。

つまり,帰省ラッシュで飛行機を利用する人々が多かったという時期です。

日航機123便,満席の航空機は,機体を揺らしながら「御巣鷹山」に墜落しました。

日本史上最大の,そして世界でも類を見ないと言われたこの大事故で,500人以上がお亡くなりになりました。

遺族の悲しみこれまで航空機は「安全な乗り物」と言われていました。

墜落事故に遭遇する確率が0.0009%で,車に乗って事故に遭う確率が0.03%らしく,その数字だけを聞いたら,飛行機は安全な乗り物であると考えることは間違いではないでしょう。

しかし,それでも航空機事故の方が恐ろしいと考えるのは,一度事故を起こせば,生きている確率はほぼゼロに近いからではないでしょうか。

それだけに,4名の生存者が見つかったのは奇跡だったのではないかと思います。

乗客もそうですが,機長やCAの方々も「絶望」したのは想像つきます。

テレビや動画で,当時の機長や副機長,管制塔とのやりとりの記録を聞くと,その切羽詰まった,絶望感の声が聞こえて,忘れることができません。

特に機長の心理というのはすごいもので,「機長,究極の決断ハドソン川の奇跡)」でも描かれています。

いったい,この事故の原因は何だったのでしょうか。

この作品は新聞社の悠木という男が、その事故の記事に関しての責任者となり、周囲の人間を使ってその真実に迫ろうとするものです。

新聞社員の視点で描かれた,そして2008年に映画化された,横山秀夫さんの渾身の作品です。記者の使命

本作品 3つのポイント

1⃣ 墜落の地獄の光景

2⃣ 事故の真の原因の報道

3⃣ 命の「大きさ」とは

地獄の光景

北関東新聞社の悠木は友人の安西と一緒に,谷川岳(群馬県)の衝立岩に登る予定でした。

しかし,日航機が御巣鷹山に墜落したらしいことを知ると,悠木は全権デスクを任されます。全権デスク記者次の日(8/13)から佐山ら記者たちは消防団と一緒に御巣鷹山に登ることになります。

事故当日に入るはずが,県警の機動隊に立ち入りを制限されてしまったからです。

この一時的な空白時間が後に問題になったりもしました。

何かを隠蔽したのではないか,と。

そして制限が解除された記者たちは「仕事のために」必死で御巣鷹山に登るわけです。

御巣鷹山へ佐山からの情報を待つ悠木。

しかし佐山から告げられたのは「地獄絵図のような光景」でした。

機体だけでなく,遺体もバラバラになっており,こんなのは記事にできない,と。

大事故を記事にするために夜通しで山に登ったり、残酷な光景をカメラに撮ったり,大変な思いをしながら,最後はその地獄のような光景を目にしたわけです。

メンタルをやられておかしくなって,車に飛び込む記者も現れました。

そしてとうとう悠木と一緒に衝立岩に登る予定だった安西も心労がたたり,くも膜下出血で亡くなってしまうのです。

そんな地獄のような状況の中でも取材を続けなければならない記者の仕事というのは本当に過酷なのだと思います。

その中でも記事を一面に載せるためにはいろんな人間の同意を得ないといけません。

他社から記事を出し抜かれないために素早い決断力も必要です。

仲には他人を貶めようとするものが現れたり。。。同じ新聞社であるはずなのに,人間関係のもつれによって記事をもみ消されたり。

一体,何が大事なのか,忘れている印象を受けました。

事故の原因の報道

よく「フェイクニュース」という言葉を耳にします。

現在でも,事実でないことを憶測で記事にしていることがあります。

私たちはその記事が果たして本当なのか,という疑問を持ちながら見ることができればいいと思います。

しかし,実際にはそれがあたかも事実のように書いてあって,信じてしまう人もいるでしょう。

報道で人々を誘導したり,そしてその誘導された人々がさらに憶測でネットに書き込んだりしてしまうと,いわゆる「炎上」という状況にもなってしまいますよね。

あることないこと書かれてしまい,最終的には自分の命を絶ってしまうという選択をしてしまうことも実際あります。本当に悲しいことです。

やはり報道は真実を伝えなければならない。

真実を伝える今回の作品中の悠木という人間は、事件に確証がないと絶対に記事にしない人物でした。

悠木の誠実さにはとても感心しました。

しかし逆に,確証にこだわり過ぎて少しでも記事が遅れてしまうと、他社に出し抜かれる可能性もあるということです。

そんなギリギリのラインで仕事をしているのが新聞記者の方々なのです。

この事故の直接的な原因は「隔壁」という航空機内外の圧力のバランスを取る機械に不具合があり、それにより尾翼を破壊してしまったことで墜落したと言われています。

事故の原因これが本当かどうかはわかりません。

同じ事故を別の小説やノンフィクションで扱っていることもありますし,日航機墜落事故の真実として出版されている書籍もあります。

ネットの解釈などを見ても,全く憶測であり,異なることが書かれているように思います。

今回悠木は,その情報を手に入れておきながら一面にできなかったということで、新聞社としても大きな損害を与えてしまうことになりました。

確かに悠木はその原因の確証がないことにこだわり,記事にしませんでした。

でも,その確証を得ようとしたことはとても大事だったと思います。

やっぱりいい加減なことは決してできない。フェイクはよくない。憶測で判断はダメ偽りの記事を流してしまえば苦しむ人が必ず出てくるし,さらにもっと大きなリスクが発生する可能性もあるわけで、憶測で物事を公にすることには大きな代償となるでしょう。

しかし,そんな悠木にも変化が表れます。

命の「大きさ」とは

※ネタバレを含みますので,見たい方だけクリックしてください!

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確かにあの頃,新聞は毎日「日航機墜落事故」ばかりでした。

いや,新聞だけではなく,テレビやラジオも,毎日毎日報道されてた気がします。

亡くなった方の氏名がテレビの中で流れるたびに,その一人一人の名前を眺めていたような思い出があります。事故のテレビ報道ところが,徐々にその報道も,まるで避けるかのように,腫れ物に触るかのように引いていきます。

そんな頃,悠木は暑い体育館の中に安置された遺体と残された遺族を目の当たりにします

遺体の前で,遺族の方々が遺体の前で泣き崩れているのです。

次第に風化されていく報道,しかし遺族の思いは永遠に消えないわけです。

そこで悠木は訴えるのです。遺族の方々の思いを記事にするべきだと。

 

今回の作品では「命の大きさ」について書かれています。

いや「命に大きさはない」と言った方がよいでしょうか。

この日航機墜落事故で亡くなった人と、普通の交通事故で亡くなった人、その重みというのはどちらが大きいのでしょうか。

そこには命の「大きさ」は関係ないと思います。

確かに記憶の大きさは計り知れないでしょう。

500以上も亡くなった事故,一人が亡くなった事故。

たとえそうだとしても,遺族の気持ちになってみれば,命の大きさに大小はあるのでしょうか。

500人だろうが、1人だろうが、遺族一人一人にとってはとても大切な人間を亡くしたわけで、そこに差はないということだと思います。

遺族の悲しみこの作品はそんな命の尊さというものを考えさせられるのです。

そして,一番驚いたのは,もうすぐ墜落するという機内にいた何人もの人が、自分の家族に宛てた「遺書」を書いていたというのです。

決して冷静だったわけではないと思います。

機体は大きく揺れながら,そして乗客の悲鳴も飛び交う中。

これは自分の死の「覚悟」なのでしょうか。

自分の家族にはずっと元気に生きてほしいという「希望」なのでしょうか。

この絶望的な状況の中で,果たして自分だったら書けるだろうか。

このまま墜落したとしても「悔いなし」と書けるだろうか。

いつ自分が同じように事故に遭ったらどうするか,わからないです。

自分が事故に遭うかもしれないし,自分の家族が事故に遭うかもしれない。

未来のことは本当にわからない。

命の尊さを感じさせられます。

この作品で考えさせられたこと

● 新聞社の人々は,私たちにとって一番何を伝えることが大事なのかをよく考えて報道するべき

● 報道で事実を伝えるために必要なのは確証である。フェイクはよくない

● 揺れる飛行機の中で,自分の大切な人への遺書を書いた人がいたという事実

今,生きていることに感謝をし,二度と同じことが起こらないように祈りたいと思います。

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