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【お帰り キネマの神様】原田マハ|かの有名監督が映画化した作品

お帰り キネマの神様

原田マハ先生の「キネマの神様」を,何とあの「男はつらいよ」で有名な山田洋次監督が本作品をベースに映画化し,それを再度原田先生がノベライズしたというすごい作品です。こんなことってあるんですね。

本作品の「キネマ」は「シネマ」のことであることは,以前ブログで書きました。映画のすばらしさを謳った本作品に,かの映画界の巨匠にはとても魅力的に映ったのでしょうか。

確かにオリジナルの原作と,映画化されたものとはストーリー的に異なります。自分のオリジナルが大幅に改変されても,それを受け入れる原田先生の懐の深さには感服しました。

原田マハ先生 ⇒ 山田洋次監督 ⇒ 原田マハ先生という,前代未聞のリレー。前書きにも書いてありますが,原田先生は本作品の改変映画化に大変喜んだようです。

映画の主演は,当初は「志村けん」さんだったらしいんですけど,コロナ禍でお亡くなりになったため,代役として「沢田研二」さんが演じられています。そして,その主人公の若かりし時の頃を演じているのは「菅田将暉」さんという豪華キャストです。

オリジナル原作もよかったですが,本作品は映画の良さや複雑な人間関係をさらに引き立て,これらこれで良い作品だと思いました。

特に映画の好きな方は是非ご一読を!

こんな方にオススメ

● 山田洋次監督が大幅改変した作品のノベライズ版を読んでみたい

● 映画をこよなく愛する方

● 原作者が,映画化された作品をさらにノベライズ化したという作品を読みたい

作品概要

「一晩で読んでしまった。魔術にかかったみたいだ。脱帽するしかない。」 
――山田洋次監督

「人生で分からないことがあったら、映画を観ろ。答えはぜんぶ、映画の中にある。」これは本書の中の、ゴウという主人公のセリフです。壊れかけた小さな家族をつなぎとめたものは、映画だった――
映画人の熱い想いと挑戦を描いたヒューマンドラマ「キネマの神様」は、山田洋次監督の手で原作小説に大幅に手を加えられ、コロナ禍下で製作された渾身の名作。人間や人生への愛が溢れたその映画に誰よりも心を動かされた原作者の原田マハが、映画をみずからノベライズ。映画を愛する全ての人に捧げる物語。
-Booksデータベースより-



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主な登場人物

円山郷直・・・主人公。練馬署の刑事

松宮脩平・・・加賀の部下で,加賀の従弟でもある

前原昭夫・・・照明器具メーカーに勤務。母親と同居

本作品 3つのポイント

1⃣ ギャンブル好きに父にあきれる娘

2⃣ ゴウと淑子の馴れ初め

3⃣ 円山ゴウ監督復活?

ギャンブル好きに父にあきれる娘

出版社に契約社員として勤務する円山歩。彼女には悩みがありました。父親である郷直,通称「ゴウ」がギャンブル依存症であることでした。すでに80歳のゴウは麻雀,競馬が止められず,多額の借金を抱えていました。

歩は不思議に思っているようでした。ゴウの妻でである淑子が,なぜ自分の夫を見限らないのか。ここまで家族に心配をかけている父親にはそんなに魅力があるのか。

ある日,自宅に借金の取り立て屋がやってきます。応対したのは歩です。とりあえず追い返そうと6000円を渡すのです。歩には勇太という息子もいました。前の夫と離婚し,ゴウたちが住む自宅へ出戻りしてきたわけです。しかし勇太は昔からコミュニケーションが苦手で不登校になり,通信の高校へ通っています。

いろいろな悩みを抱える歩。彼女は淑子と話し合い,家族を何とかしようと,ギャンブル依存症の相談会「多重債務の家族の会」に参加しました。とうとう歩は,ゴウの通帳とキャッシュカードを没収します。そしてもうギャンブルを禁止しようとするのです

ギャンブルができなくなり,楽しみを失ったゴウですが,彼には趣味がありました。それは「映画」です。「人生で迷うことがあったら映画を観ろ。答えは全部映画の中にある」というくらい映画が大好きなゴウ。

ゴウの妻,淑子は映画館「テアトル銀幕」でパートをしています。このオーナーがゴウの旧友でもある寺林新太郎,通称「テラシン」でした。一週間に三回はこの映画館へ通っているくらい,やはりゴウは映画が大好きなんですね。そして毎回,テラシンが空けてくれている特等席で映画を観るのです。

「俺は昔,松竹の撮影所で助監督をしていたんだ」

これ,本当なんでしょうか。助監督をしていたのに,なぜ今は映画の仕事をせずにギャンブルにハマってしまっているのか。ちょっと疑問ですよね。

助監督とは

映画監督は映画のあらゆるパートに方向性を示すこと、そしてプロジェクトを推進し、クオリティに責任を持つのが役割となります。

それに対し,助監督は文字通り監督をサポートするのが仕事です。具体的には日々の撮影スケジュールを作ったり、エキストラの動きをつけたり、カチンコを打ったりと多岐に渡ります。

-CINEAST BLOGより-

ある日,歩は淑子から意外なことを聞くのです。ゴウがかつて助監督だったのは本当で,あることが原因で逃げ出したゴウを追いかけるように「駆け落ち」していたのでした。歩はテラシンから「淑子が撮影所のアイドルだった」ということを聞いていました。

淑子の気持ちがわからない歩。どうやら淑子がゴウから離れない理由は,過去の出来事にあるような気がします。そして淑子は意味深なことを言いだします。

「あなたは昔いつも言っていたじゃないの。映画には,フィルムには神様が宿っているんだって」

やはりゴウと淑子の間には,切っても切れない何かがありそうです。ん~,一体,何があるというのでしょうか。それは彼らの過去の出来事にヒントがありそうです。

ギャンブルを封じられたゴウは「テアトル銀幕」へ行き,ある映画を観ます。それは「花筏(はないかだ)」という映画で,主演は桂園子という名女優でした。ゴウはテラシンに言います。「もうすぐ園子さんのアップになる。その時,園子の瞳に俺が映っている」と。テラシンがじっと見ていると,確かに園子の瞳にはカチンコを持った青年,若かりし頃のゴウが映っていました。

ここからゴウの過去の時代の話になるのです。

ゴウと淑子の馴れ初め

ここから過去の時代へ遡ります。50年前の1969年の頃です。ゴウは映画監督になることが夢で,松竹の大船撮影所で働く映画青年でした。そこには映写技師だった若き日のテラシンもいました。テラシンもまた自分が経営する映画館を持つという夢がありました。

松竹には出水宏という監督がいて,ゴウは彼の助監督として働いていました。撮影しているのは「花筏」という映画。あれ? さっき,登場したような。。。当然,俳優たちとも交流はあったようで,その中に登場するのが桂園子という女性です。彼女はみんなが憧れる大スターでした。

ある日,撮影所に一人の女性が出前を持ってきました。「こんにちは,『ふな喜』です。カツ丼2つお届けにあがりましたぁ」彼女の名前は「淑子」,そう,後にゴウと一緒になる女性でした。仕事の合間には,近くにある「ふな喜」という食堂へ行って,監督,園子なども一緒に食事を摂ったりしています。みんな「ふな喜」の常連というわけですね。淑子は度々テラシンの映写室を訪ねるようになりました。

映写室と映写技師とは

映画作品を、スクリーンを介して観客に届けていく映画館の映写室で映写を担う大黒柱が映写技師です。劇場スクリーンの観客席の後方上にある映写室から、映画を映写しています。

完成した映画は、10分ごとなど小さく分けられたロールの巻となって映画館に届きます。映写には、複数のロールを2台の映写機にセッティングしながら上映していく「巻掛け」と呼ばれるスタイルが多くとられていました。フィルムの管理はもちろん「巻掛け」や上映への準備なども映写技師が行ってきました。

近年ではフィルム撮影ではなくデジタル撮影が一般的になり、映画館での上映も映写機ではなく、プロジェクタ使用のデジタル化が浸透。日本映画製作者連盟による2023年の統計では、日本の映画館のスクリーンの98%がデジタル設備を導入しています。

-Bunkamura magazine ONLINEサイトより-

逆に,淑子はというとゴウに想いを寄せるようになっていたようです。ただ,仕事の合間にギャンブルに明け暮れるゴウの様子に戸惑っているようでした。ゴウのギャンブル好きはこの頃から健在だったんですね。

ある日、伊豆半島でロケをすることになりました。ゴウはテラシンと淑子も伊豆に誘います。そして週一の休みの日には,園子の運転する車でドライブを楽しみました。淑子と何度も会うようになったテラシンは,どうやら淑子に恋をしてしまったようです。

とうとうテラシンはゴウに相談し,ラブレターを書くことにしました。テラシンからラブレターを受け取った淑子は困惑します。やはり淑子にとってはゴウの方を気に入っている様子。それを知ってか知らずなのか,ゴウの気持ちも複雑でした。

テラシンはゴウから「淑子の気持ちが自分にあること」を伝えられます。ゴウは淑子に伝言を頼まれただけなんですけどね。何も知らずにラブレターなどを書いてしまったテラシンはあまりの恥ずかしさに怒り心頭。ゴウは一方的にテラシンから絶交を叩きつけられるのです。この辺りがゴウは不器用なんですよね。そんな友情危機的な中でも,ゴウが映画にかける思いは変わりませんでした。

ゴウはこれまで助監督でしたが,初めて監督としてデビューすることになります。

『祝クランクイン 円山ゴウ・第一回監督作品 桂園子』

「ふな喜」のカウンターにはそんな立て札が立てられています。タイトルは『キネマの神様』です。ところがこんな大事な日に,ゴウはあまりの緊張をお腹を下してしまいトイレに籠っています。

撮影当日になっても,またゴウは緊張していました。映画監督って,相当なプレッシャーがあるんでしょうね。撮影が始まります。カメラマンは森田という男です。ただこの森田とゴウの息が全く合わないんですよね。

監督としての視点とカメラマンの視点というのは違うこともあるのでしょうか。自分が撮りたい「シャシン」がなかなか撮れないし,自分の意見も森田に否定されてしまう。
じっと我慢していたゴウでしたが,とうとうキレます。「わかりました。もういいです」と立ち去ろうとするゴウを,腕を掴んで引き留めようとする森田。

その瞬間事故が起こってしまいます。ゴウが椅子からセットの床に転落してしまうのです。そして救急車が呼ばれる事態に。。。ゴウは全治三ヶ月の大けがを負い,また監督としての自信も失くしてしまいました。そしてとうとう,松竹を去る決意をしてしまうのです。そんなゴウを淑子は追います。園子に車で送ってもらうのです。淑子は,たとえゴウから「帰れ!」と言われても絶対に離れないと決意していました。

なるほど,これが淑子の言う「駆け落ち」だったんですね。ゴウがギャンブルに明け暮れても,自分が「ふな喜」を捨ててまでゴウ追った淑子の気持ちを知れば,ゴウを庇いたくなる気持ちもよくわかります。

そして時代はまた現在に戻ってくるのです。

円山ゴウ監督復活?

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ゴウと淑子は「テアトル銀幕」で映画を観ていました。オーナーのテラシンも,普通に淑子と話せるようになっています。この三人が今も仲良くしていることが微笑ましいですよね。
一方,ゴウたちの娘である歩は,離婚して苦労して一人息子である勇太を育てながら,なぜ淑子がゴウを見切らないのか不思議でした。

ただ,歩がゴウを憎み切れないという気持ちも持っていました。そして勇太もゴウのことが大好きなようです。そして勇太は何を思ったのか「ゴウに話したいことがある」と言い出すのです。ギャンブルやめてくれって話かと思いましたが違いました。勇太は古い,黄ばんだ冊子を取り出します。そこにはこう書かれていました。

『円山郷直 第一回監督作品 キネマの神様』

そう,50年前にゴウが撮りたくても撮れなかった,あの作品の脚本でした。どうやらこの脚本,テラシンが貸してくれたようなんです。ゴウは古臭いものと思い込んでいましたが,勇太は「ものすごく面白かった」と言うのです。そしてなぜこの作品が世に出ていないかを聞くのです。

ゴウは過去のことを話し出します。新人俳優が腹を壊して,さらに大ケガして撮影できなくなった,などと嘘をついて。その話に驚いた勇太でしたが,さらにとんでもないことを言いだします。

「おじいちゃん,僕の話はこれです。この脚本を書き直して,大穴を狙うんです」

勇太は,脚本家が一度は憧れる「木戸賞」を狙うというのです。

城戸賞とは

城戸賞は1974年12月1日「映画の日」に制定されました。映画製作者として永年に亘り日本映画界の興隆に寄与し、数多くの映画監督・脚本家・映画スタッフの育成に努めた城戸四郎の「これからの日本映画の振興には、脚本の受けもつ責任が極めて大きい」との持論に基づき、若く新しい人材を発掘しその創作活動を奨励することを目的としています。

「きど」という漢字が違いますが,おそらく城戸賞のことでしょう。賞に輝けば,賞金100万円を手にすることができます。最初は乗り気ではなかったゴウでしたが、一度は失いかけた映画への情熱,そして賞金100万円に異常に興味を示して引き受けます。

それからはゴウと勇太の共同作業が始まりました。その様子を見ながら,勇太の母でもある歩は思うのです。50年間付き添ったゴウと淑子にも辛い時期がきっとあったはずであると。自分も,父のギャンブルや,息子の登校拒否,離婚や突然の解雇など,夢ならいいのにと思ったことが何度もあったと。

でも一つだけ変わらないものがありました。それは「映画」です。円山家の全員,父も母も自分も息子も,みんな映画が好きだったということ。映画を観ている間はイヤなことを忘れることができた。映画が終わり,場内が明るくなった瞬間「何とかなる」と思えたことを思い出すのでした。

そしてとうとう奇跡が起きます。ゴウと勇太が一緒に書き上げた脚本が「木戸賞」を受賞したのです。これにはゴウやテラシン,そして娘の歩も驚きます。ゴウはテラシンと喜び「テアトル銀幕」で祝賀会を催しました。しかし,元々体調の良くなかったゴウが病に倒れてしまいます。

木戸賞の授賞式には出席できないゴウに代わり,歩が代理で出席します。淑子と勇太は会場でそれを見守っています。歩はゴウが予め書いていたたスピーチを読み上げます。それはゴウの家族への感謝の言葉でした。病床のゴウは見舞いに訪れたテラシンに電話をつなげてもらい、授賞式の様子を聞いていました。

原作のストーリーから,かなり脚色されて制作された山田洋次先生の映画。そのノベライズされた作品はこれはこれでとてもよかったと思います。一つのストーリーも,別の人から見ると捉え方も異なることがあるのかなと思いました。

あとがきに山田洋次先生の言葉がありますが,自分が制作した映画のノベライズ作品を読んで,原作者の原田マハ先生の表現に圧倒された部分もあったようです。

あの日本が誇る映画監督でさえも分からない繊細な部分もあるのかなと思いました。本当に映画が好きな人って,僕自身が小説が大好きなようにいろいろなことを考えながら観ているのでしょうね。作中のゴウが言った言葉も印象深かったです。

『人生は映画みたいに撮り直しができない。だから映画があるんじゃないか』

深い言葉です。今後,映画を観ることがあったら,そんな視点で観てみたいなと思わせられました。

この作品で考えさせられたこと

● 原作を脚色した映画のノベライズ作品を読むという初めての経験

● 原作者と映画監督の作品に対する捉え方はそれぞれであるということ

● これから映画を観る時は,もっと違う視点で観たいと思わせられました

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