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【シッダールタ】ヘルマンヘッセ|苦悩して悟りを開いた人物

シッダールタ

シッダールタという人物の存在を知りませんでした。

仏教の始祖といえば「釈迦」を思い出しますが,その釈迦の修業時代の話。

若かりし頃の釈迦がさまざまなところへ旅をし,途方もない年月をかけ,悟りを開くための旅をするという話です。

僕自身は「神徒」であるため,仏教のことはあまり詳しくはないですが,いろいろな書物を読んで,その考え方に共感したことはあります。

それだけに本作品はとても興味を持って読みました。

しかし,とにかく理解が難しかったです。

ヘルマンヘッセの作品を翻訳したもので,日本語表現があまりにも独特なのか,それともヘルマンヘッセの描き方の方が独特なのか。

何度も読めばその良さがわかるかもしれませんが。。。

ただ,よくわかったのは,釈迦が新しい境地にたどり着くまでには,長い長い期間がかかっていたということです。

「釈迦だから」といってすぐに多くの悟りを開いたわけではなかったんですね。釈迦となるシッダールタ人生とは本当に深いもので,釈迦が何をもって悟りの境地にたどり着いたかわかる作品ではあります。

女優の中谷美紀さんも推薦されている作品です。

こんな方にオススメ

● シッダールタ(釈迦)がどんな人生を送ったのか知りたい

● シッダールタが何をもって悟りの境地にたどり着いたのかを知りたい

● 仏教に興味がある方

作品概要

シッダールタとは、釈尊の出家以前の名である。生に苦しみ出離を求めたシッダールタは、苦行に苦行を重ねたあげく、川の流れから時間を超越することによってのみ幸福が得られることを学び、ついに一切をあるがままに愛する悟りの境地に達する。――成道後の仏陀を讃美するのではなく、悟りに至るまでの求道者の体験の奥義を探ろうとしたこの作品は、ヘッセ芸術のひとつの頂点である。
-Booksデータベースより-



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主な登場人物

シッダールタ・・・主人公。釈迦が出家する以前の名前

ゴーヴィンダ・・・シッダールタとともに修行する僧

ヴァズデーヴァ・・渡し守。シッダールタが弟子になる

本作品 3つのポイント

1⃣ シッダールタの旅立ち

2⃣ 欲望や快楽に浸るシッダールタ

3⃣ 川から学ぶシッダールタ

シッダールタの旅立ち

シッダールタは,少年時代から賢いバラモンの僧の息子でした。バラモンの僧バラモンとは「インドのカースト制度の最高階級である司祭」のことを言います。

シッダールタ自身はかなり高貴な人間だったわけですね。

しかし彼は,バラモンに属していながら何か疑問を感じているようでした。

そこでシッダールタは沙門と呼ばれる一派に入門し,厳しい修行をすることになります。

だだ,シッダールタはまたもや同じ心境になります。

沙門にいても,長老自身がなかなか涅槃(ねはん)の境地にたどり着けない状態だったのがその理由です。

涅槃とは「一切の煩悩から解脱した,不生不滅の高い境地」を言うそうです。悟りの境地といったところでしょうか。涅槃の境地とは教え自体は確かに正しいと考えてますが,何かが足りないと感じているようなんですね。

教えを受けるだけではなく,シッダールタは自分自身で多くのことを体験し,何かを得ようとしているように思えました。

「言葉」ではなく,自分自身が起こした行動による「経験」こそが重要であると。

同じ沙門にはゴーヴィンダという,シッダールタと気心知れた仲間がいますが,ゴーヴィンダの引き留めも空しく,シッダールタは旅立つことを決意します。何かを求めて旅立つシッダールタシッダールタは,川を渡り,町へ向かいます。そこで多くのことを経験するのです。

きっと厳しい試練なのかと思いきや,全く違いました。

まずは商人として生活することになります。カーマスワミーという商人の弟子として修行するのです。

もちろん商人なので,モノを売って,金を受け取ります。着るものや履くもの,そして食べるものが中心です。

そして儲けた金を「快楽」につぎ込むのです。シッダールタはカマーラという「遊女」と出会います。

密かに会うようになり,シッダールタはカマーラに入れ込んでしまうんですね。遊女カマーラ何かシッダールタらしくありませんが,これまでの彼とは全く異なる経験を積んでいくのです。

悟りの境地どころではない。シッダールタは徐々に堕落の一途をだどっているようでした。

いわゆる「煩悩の塊」のようになってしまった感のあるシッダールタ。煩悩長い間,これまでの人生とはかけ離れた生活を送っていたシッダールタは,ようやく「これではいけない」と気づいたようです。

そして,かつて育った場所へ戻っていくのでした。

欲望や快楽に浸るシッダールタ

一度,甘い生活を経験すると,そこから抜け出すのは簡単ではないですよね。

シッダールタは気づいた時にはかなりの老人になっていました。

カーマスワミーのような商人のようになりたくて旅に出たのか。

遊女であるカマーラのような女性との快楽を経験するために旅に出たのか。

あれだけ沙門に疑問を感じて旅に出たのに,結果それ以下の人間に成り下がってしまった感のあるシッダールタ欲望で成り下がったシッダールタ世間の人間と自分は違うはずであると考えていたシッダールタが,今まさにその人間となってしまっていました。

きっと絶望感でいっぱいだったことでしょう。

長い時間,快楽に浸っていたシッダールタ,かつての自分を取り戻そうとします。

そして,育った場所に戻ろうと考えます。そこで出会ったのがゴーヴィンダです。

ゴーヴィンダはかつての盟友であるシッダールタに気づけません。そのくらい高貴な恰好をしていたため,あるいは年老いてしまったためかもしれません。

自分はいろいろな経験をした。しかし未だ悟りの境地には程遠いことを伝えます。

ゴーヴィンダの姿に何かを感じたようでした。シッダールタはこんなことを考えます。

世界をあるがままにまかせ,世界を愛し,喜んで世界に帰属するためには,自分は罪を大いに必要とし,歓楽を必要とし,財貨への努力や虚栄や,極度に恥ずかしい絶望を必要とすることを,自分の心身に体験した」 シッダールタとゴーヴィンダきっとシッダールタは,欲望の赴くままの生活を経験し,金を手に入れること,快楽に走ってしまうこと,自分自身が高貴な存在であるということなど,多くの過ちを犯し,その過ちに気づいて絶望に浸ることも実は大事だったのだ,と考えているように思いました。

故郷へ戻る途中にあった大きな川にたどり着きます。そこでシッダールタはヴァズデーヴァという渡し守と出会います。シッダールタはヴァズデーヴァの弟子にしてほしいことを伝えます。実はこれが大きな基点になります。

このヴァズデーヴァこそ,他の人間とは異なる人間のようでした。

川から学びなさい

シッダールタはヴァズデーヴァからそんなアドバイスを受けます。これはどういうことなのか。

川から学ぶシッダールタ

川には水が存在します。

しかし絶えず流れているので,その一瞬だけに注目すれば常に新しい状態が生み出されていきます。

川の流れから学べ現れては消える川の水ですが,ただ全ては確かに川の中に存在するというのです。
死と世,罪と聖,賢と愚,などなど。

世の中のさまざまな者は,良い部分と悪い部分の両方を持ち合わせているということです。

どれも同時に存在する状態であり,それを川の流れをまじまじと見て,真剣に考えたことでたどり着いたシッダールタの境地。

シッダールタ自身は,時間を超えた価値観に到達します。

時間などは存在しないと言うのです。ん? どういうこと?時間は存在しないこれは難しい。確かに身の回りの出来事は絶えず変化していきます。

仏教的な考え方でそれは「諸行無常」というのでしょうか。

そこには「時間の流れ」があり,状態は刻々と変化しているように思います。

しかし,その目の前のことのみを見ようとしないから,人間は悩み,苦しむ。

時間の流れの中に存在するから,悩むし,苦しむし,落ち込んでしまう。

時間が人間に苦悩を抱かせているというのです。

聖者や賢者でも,明日には罪人となる可能性があるように,時間という中で物事を捉えた場合には,一面的な状態でしか認識することができない。

しかし実際は、人間は聖者であり罪人である状態を同時にはらんでいるということなのでしょう。善と悪そう考えれば,自分にとって苦手だと思う人間がいたとしても,自分だって悪い部分があるから許そうと思えるのではないか。

よく人の悪口を言う人がいます。僕自身も言ったことありますし,人から聞くこともあります。

一方からだけ意見を聞くとその通りだと思いがちです。しかし,他方からの意見を聞けば全く異なるものが見えることに気が付きます。

片方が悪いのではなく,両方に善や悪の部分が共存しているのかなと思います。

涅槃(ねはん)の境地とは,自分が一つのものであるという状態ではなく,全てのものを孕んでいるという真実に到達すること。

シッダールタは「川の流れ」を眺めながら,この境地にたどり着いたのでしょう。

教科書に載っていることをただ学ぶだけでなく,実際に自分自身が経験をし,納得して初めて「理解する」ということになり,他人に教えることができるのではないでしょうか。

シッダールタは経験を通して多くのことを悟ったのかなと思います。仏陀シッダールタ仏陀シッダールタ。仏教の教祖として今もその教えを伝道する多くの人々がいるほどの人物。すごい人だなと思いました。

この作品で考えさせられたこと

● 自分が経験することで納得しなければ悟りは開けなかったということ

● 釈迦も欲に溺れていた時期を経験していたということ

● 壁に立ち向かい,多くのことを経験して人は成長するということ

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